※夜のラクウェル探索がリィン一人だったら、というif妄想。そしてお題箱リクエストの「リィンと蒼のジークフリードの邂逅」のSSとなります。
星が瞬き始める頃、その街は昼間とは違った姿を見せる。
情報収集の為にリィンがたった一人で踏み入ったラクウェルは、様々な色で煌めいていた。街を照らす街灯に、派手に飾られた看板、それらの光を少しだけ反射した、客引きの娘の髪飾り――数える事は叶わない、幻想的にさえ思えるほどの光の数々が夜の世界を彩っている。
カジノの前では、路上であるにも関わらず男女が深い接吻を交わしながら抱擁をしていたり、少し露出のある格好をした女性が、通りがかった者へと声を掛けている。その横で妙に厚みのある財布を手に、やや品のない笑い声を上げているのは、身なりからしてそれなりの貴族なのだろうか。
辺りは夜の歓楽街特有の、浮ついた空気に満ちていた。隙だらけの者も多いが、それを狙って目を光らせる者も居る。
――危険がゼロというわけではないし、油断は出来ないが、情報収集をするにはうってつけだろう。
街灯に寄りかかりながらリィンは街の様子を伺い、そう思った。
「どこから当たるべきか……」
程よい喧騒に紛れて、リィンの独り言は宙へと消える。泥酔した男がふらふらと近寄って来ているのに気付いて、一旦思考を遮断し、彼は歩き出した。
「……」
歩く速度に合わせて流れて行く景色の中から、感じ取るものが幾つかある。
時折向けられる視線に、当然、気付いていないわけではない。その視線にどういった意味が含まれているのか、深く考えずとも推測に辿り着ける辺り、そういう事には慣れてしまったらしい。
勿論、それは一つだけではないのだろう。この街の裏側に潜んでいるであろう存在を踏まえれば、幾らでも予測は出来る。
ラクウェルの場合、もっと単純な、単なる誘いのものである可能性も十分に考えられるが。
「そこのステキなお兄さん、特別にサービスしちゃうけど一杯どう?」
「いえ……急いでいるので。すみません」
甘ったるい声で掛けられた勧誘をやんわりと断って、足早に通りを進んで行く。
彼の脳内を巡る、幾つかの行き先。まずはその内の一つ、カジノの前で足を止めて、リィンは煌々と輝くその看板を見つめた。
『カジノか……少し興味はあるけど、なんとなく入りづらそうな感じがするんだよな』
『ま、学院を卒業してお前が大人になったら連れてってやるって』
『付き合ってもいいけど……クロウはまず、卒業出来ると決まってからそういう事を言ってくれ』
『ぐっ……言うようになったじゃねーか』
過ぎった懐かしい記憶が、僅かに肩の力を抜いてくれた。
鮮明なまま焼き付いてくれている思い出は、ほんの少しだけ遠くで煌めいている。まだ褪せる事はないのだと安堵して、リィンはその小さな光をそっと、己の持つ宝箱の中へと置いておいた。
視線を下げ、カジノの入り口へと視線を向けた、その瞬間。
「……?」
今までに向けられていたそれとは明らかに異なるものを感じて、リィンは通りの奥、人気のない路地裏へと続く暗闇を見た。
建物の間にぽっかりと口を開けたように存在しているそれは、今はもう、何の気配も感じ取る事が出来ない。
「今、何か――」
ラクウェルの影に潜む猟兵の類か、それとも。少々距離があるせいで、はっきりと判断する事は叶わなかった。浮かんだ推測に当て嵌めるのも早すぎる。――追うべきか、追わないべきか。リィンの中には二つの選択肢が現れ、その真ん中で矢印が揺らいだ。
上着に隠れるサイズの剣は携えている。それに、多少の危険は覚悟の上で夜のラクウェルへと足を踏み入れたのだから、引き換えに少しでも有力な情報を得られる可能性があるのならば、そちらに賭けたい気持ちはある。
「……」
頭上の街灯が微かに点滅して、遠くで誰かの笑い声が再び上がる。小さく息を吐いて、リィンは気配を極力殺しながら、路地へと近寄った。少しだけ覗き込むと、背を押すように生温い風が吹き込んでいく。
『真実っつーのは暗闇の中にあるもんだ。そいつを表に引っ張り出せるかだな』
ふと思い出した、何気ないやり取り。確かユミル小旅行の最中だったか。その言葉だけが妙に印象に残っていて、前後の会話を思い返す事が叶わないのが少々歯痒い。クロウにしてはやけに真面目な事を言うものだ、と思っていたら顔に出ていたらしく、じとりとした目で見られた事は覚えていた。
境界線はもう、目の前だ。行くしかない。
誘うかのように広がる黒の中へと音を立てずに踏み入れば、そこは静寂に満ちていた。歓楽街の喧騒を闇が遮り、煌びやかな光は遠ざかっていく。昼間の灰色を引きずっている空からは、月光が降り注ぐ事もない。
どこへ続いているのか、それすらも分からない路地裏を、リィンはゆっくりと歩いて行く。剣の柄には手を掛けて、いつでも抜剣出来るよう、最大限の注意を払う。
その時――かたり。と、少し前方から音がする。
「!」
誰か居るのか、と一瞬警戒をするが、すぐに可愛らしい鳴き声が続く。暗闇に少し慣れてきたリィンの目は、ゆらりと揺れた尻尾を捉えた。
「猫か……」
リィンは擦り寄ってきた猫を一度だけ撫でて、屈んだまま、続く路地を見据える。
少し前から、何者かの気配を感じてはいた。やはりまったくの無人、というわけではないらしい。それは消えたり現れたりする、曖昧な、知っているようで知らないものだ。
そうだ、これは、かつてどこかで感じ取った事のある――
「っ!」
殺気とはまた違う何かが向けられたのを察知して、リィンは提げていた剣を素早く引き抜く。振り返り、その切っ先を向けた先には、金の銃口が見えた。
暗闇の中に居ても、目を凝らさずとも、分かる。
それの正体も、その持ち主も。
「…………。不思議だよな。少しだけ、思ったんだ」
確信を百とするならば、それは十に満たなかった。が、その小さな予測が現実となって、リィンの目の前に存在している。
先程と同じ生温い風が、銀髪を揺らしていく。着けられた仮面は相変わらず、彼の表情を半分ほど覆い隠していた。
「アンタなんじゃないか、って。――《蒼》のジークフリード」
名前を付けられない感情が、静かに沸き上がる。鉛と等しい重みを持ったそれを掬い上げて、彼はジークフリードを真っ直ぐに見る。近くで見ると、どんなに暗くても〝彼〟の面影を感じずにはいられなかった。
「こんなところで何をしているんだ」
静かなリィンの問いかけに、ジークフリードは肩を竦める。
「特に理由はない、と言ったら?」
「そんなわけがないだろう……と言いたいけど、それ以上は聞かない。何度問いかけても、答えてはくれないだろうからな」
こんな場所で邂逅したのは本当に偶然なのか、それとも。考えたところで答えは得られないのだろう、と、リィンは剣を鞘へと戻した。ジークフリードもまた、二丁拳銃を収める。
途切れる会話。二人の周囲は静まり返っている。リィンの足元に居たはずの猫はもう、姿を消していた。
いくら見つめたところで見えるはずがないと分かっていても、リィンはジークフリードの仮面、瞳を覆い隠している部分を見る。
その下にある瞳は、見慣れた色を帯びているのか、違った色を持っているのか。仮面を取り払って確かめたい気持ちの片隅に、それを知る事をほんの僅かに恐れる気持ちも潜んでいる。どちらにせよ、異なる理由で揺らいでしまうであろう事は明らかだった。
「…………これも使命の一欠片か」
思考に沈みかけたリィンを引き戻したのは、ジークフリードの独り言だった。
「? 何を言って――って、どこに行くつもりだ」
歩き出したジークフリードは一度、足を止める。振り返りはしなかった。
「俺を信じるのも、信じないのもお前の自由だ」
それだけ言い残して、ジークフリードは再び、どこかへと歩いて行く。言葉の真意を掴みかねて、リィンはその背を見る事しか出来なかった。
「……」
路地へ立ち入る前の事を思い出す。
暗闇に溶けて見失いかけた背中を、リィンは小走りで追いかけた。
◆
ぎい、という音と同時に扉を開くと、そこは薄暗いバーのようだった。
リィンは入る前に少し様子を伺ったが、看板も何もなく、外観からでは何かの集会場のようにしか見えない。隠れ家というものなのだろうか。
警戒するように店内を見回したリィンに、奥からグラスを運んで来た店主が気が付く。
「おや、いらっしゃい」
「えっと……すみません。ここは」
「ご覧の通り、ただのバーだよ。〝そういう人〟が来る事が多い、ね」
それはもう普通の場所ではないのでは、と言いかけたのを抑えて、リィンは店主に促されるがままにカウンター席に座った。
リィンが隣に腰掛けているジークフリードをちらりと見遣ると、彼は口を開く。
「……罠が仕掛けられている可能性は考えなかったのか? それとも、己の腕に自信があるのか」
淡々としつつも呆れを含んだような声色で、ジークフリードは問う。
「考えるに決まってるだろう。でも、俺にはアンタを追う理由があったからな」
他に客はいない。しんと静まり返った店内には、時折軋む建物の音と、秒針のそれだけがある。
「今日は明け方前まで店を開けるから、寛いでいってくれ。まあ、こんな雨が降りそうな天気じゃ、いつもよりお客さんは少なそうだけどね」
苦笑しながら、店主はグラスと肴を二人分置く。リィンのグラスの中には、メロンソーダらしきものが注がれていた。
「追加の注文があれば、遠慮なく呼んでくれ。君達もなんだか話がありそうな雰囲気だ」
二人に気を遣ったのか、店主は店の奥へと姿を消した。
「……あの人は……」
「案ずるな。ここの店主はどの勢力とも通じていない。猟兵上がりではあるが、今は只の一般人だ」
「……詳しいんだな」
「初めてではないからな」
ジークフリードは、誰かとこの店を訪れた事があるらしい。問いかけようとした言葉を押し込んで、リィンは置かれたメロンソーダの泡をぼんやりと見つめる。
引っ込めた言葉の代わりに、錠をかけていた場所にしまっていたものを引き出した。
「聞きたい事がある」
リィンがジークフリードの方へ視線を向けても、彼は目を合わせない。
「地精に関して、答えられる事はない」
「そう返されるのは分かってた。……今、俺が聞きたいのは、アンタ自身の事だ」
グラスを手にして、リィンは相反する想いを抑える。隙間から零れ落ちてしまいそうで、混じり合う事のないそれらは、リィンが己の心に被せた冷静さの下で不安定なままだ。
「どうして、地精に力を貸している?」
「愚問だな。俺はその為に再び生を受けただけの事」
「今まで、どこで、何をしていた?」
「秘匿する。お前達に開示出来る情報ではない」
ここまでも、リィンの中では予想の範囲内だった。気になる部分はあったが、深く追求したところで、おそらく望んでいるような返答は貰えないのだろう。
「……それなら……」
一度言葉を切って、僅かに目を伏せるリィン。
ジークフリードは何も言わない。待ってくれている、というよりは、無駄に話す必要がないから、といった様子だ。
行き場のない感情をぶつける代わりに、リィンは目の前のグラスを掴んだ。どうにか絞り出した問いを、彼はぽつりと口にする。
「…………〝クロウ・アームブラスト〟を、アンタは知っているのか」
「…………」
リィンの中では、二つの感情が揺らいでいる。肯定と否定の狭間に置かれた天秤は、あり得ない、と自分に言う事で、後者の方へと常に傾いていた。否、傾かせるようにしていたのかもしれない。故に、彼はこの問いかけをした。
それでも、もう片方がゼロ、という訳ではなかった。もしかしたら、という気持ちをなくしきれていない事も、リィンは分かっていた。
「蒼の騎士。騎神オルディーネの〝起動者〟――〝情報〟として知っている部分は、幾つかある」
ジークフリードは、やはり視線を向けようとはしない。
「ッ……」
「一通り、話は聞いている。が、それ以上は興味がない。俺にとって、知る必要もない」
他人の事を話すかのように、ジークフリードは告げる。声も、外見も、騎神の影も、得物もここまで酷似しているというのに、目前の彼の中に〝クロウ〟は居ない。
怒りとも、哀しみとも言い表せない冷えた熱がリィンの心を駆けて、言葉を奪い去る。
諸刃の剣と分かっていて問いかけた事を、悔いてはいない。〝ジークフリード〟という存在を見極める為に、必ず通らねばならなかった場所なのだと言い聞かせて、リィンは息を吐いた。
「……そう、か」
やはり、別人なのだろうか。けれど――。渦巻いた気持ちの行き先は、定まらないまま彷徨う。
初めてリィンがジークフリードを見た時、クロウ、と呼びそうになった衝動はぐっと堪えた――というよりは、寸前のところで痞えて出てこなかった、と表現した方が正しい。
生きているはずがないのだから。葬儀を行い、静かに見送ったはずの〝クロウ〟が。
今でも、リィンはあの日を覚えている。内戦、十月戦役が終結してから一週間後の事だ。
『クロウ。……ありがとう』
ヒンメル霊園の一角。穏やかに眠るクロウに対して、ありきたりな言葉しか出ず、涙は出なかった。
彼が納められた棺が埋められ、名と墓碑銘が刻まれた墓石が生きた証として遺される。触れた墓石はひんやりと冷たく、吹き渡る風が運んできた花弁が添えられた。
〝この石に触れざる者に幸いあれ〟
〝我が骨を動かす者に災いあれ〟
その時は墓碑銘の意味を深く考える余裕はなく、ただ、喪った大切な仲間への数えきれないほどの想いが、リィンの胸中を焦がしていた。
掴んだままのグラスから手を離して、リィンは零れ落ちた言葉をそのまま手放す。
「見極めるのに、もう少し時間がかかりそうだ」
それは取り繕ったものでもあり、本心でもある。
「好きにするがいい」
リィンが顔を上げる。
ジークフリードは彼の方に視線を投げ、微かに声色を変えて呟いた。
「……お前達が俺をどう思おうと、俺には関係のない事だ」
秒針の音だけが響く空間で、リィンは、ジークフリードの仮面の向こうに緋色を見た気がした。
2017.12.11