行動理由

 ――彼はただの〝監視対象〟です。それ以上でも、それ以下でもありません。

 何故そんな事を聞くのですか? 理解不能です。任務として同行してはいますが、彼に対してそういった感情は一切ありません。――からかっただけ? はあ……よく分かりません。
 彼が……リィンさんが危険な目に遭えば、守ります。任務ですから。監視対象に何かあっては、任務が遂行出来なくなる。それは貴方が一番分かっているはずです。
 私は彼にとっての何なのか? ……質問の意図が不明です。その答えを出す事に、何か意味があるのですか? 任務に無用な感情は持たない事……そう言ったのは貴方だったと認識していますが。

 ――……報告が長くなりました。これから授業があるので、失礼します。

 ◇

「アルティナ」
 リィンは椅子に腰掛けたまま、額へ手をやる。その仕草は困惑しているが故のものだったが、後ろに立つ少女にはまったくそれは伝わらない。
「何でしょうか」
 淡々と返答するアルティナは、真っ直ぐに彼を見つめている。その二つの翠から逃れられない事を察して、リィンは苦笑した。
「……その。まさか、とは思うけど……やっぱり、俺が寝るまで部屋にいるつもりなのか?」
 誤解を招きそうなくらい、リィンのそばを片時も離れないアルティナ。授業を終え、寮へ戻る時も、彼の一アージュほど後ろには彼女の姿がある。
「はい。不本意ではありますが、貴方を監視するのが任務ですので。……以前のように、不埒な事があればすぐにクラウ=ソラスを呼びます」
「……」
 教え子を、教官が部屋に連れ込んでいる――。
 否、決してそういうわけではないのだが、何も知らない人が見たらそのようにしか見えないだろう。リィンに付いて回る理由をユウナに問われて、監視の任務の為だとアルティナが答えてくれていなかったら、不名誉な称号を押し付けられていた可能性だってなくもない。そこだけは幸いと言うべきか、と、リィンは机に沈みながら思う。
 彼は時計を確認する。針はまだ、就寝するには早い時刻を指していた。
 背後の少女の目は少々気になるが、今日のうちに出来る事はやっておこうと、リィンは引き出しに手を伸ばす。幾つかの積み重なったファイルの中から預かっていたレポートを取り出して、彼は赤のペンを手に取った。まずはクルトのものから――と目を通そうとして、アルティナが部屋の入り口に立ちっぱなしな事に気が付く。
「ベッドで良ければ、空いてるから座ってていいぞ?」
 ちらりとベッドを一瞥して、彼女は再度、リィンを見る。
「…………」
「……。そういう視線を向けるんじゃありません」
 じとりとした目で見つめてきたアルティナに対して、リィンが溜め息を吐く。
 パンタグリュエルでの出来事がまだ尾を引いているのか、否か。あの時、クラウ=ソラスに容赦なく思い切り殴られたところが痛んだ気がして、リィンは思わず頭を掻いた。
 分かっていますと小さく呟き、少し間を空けてから、ぽすんと控えめな音を立ててアルティナがベッドに腰掛ける。
 視線を背中に感じつつも、リィンは丁寧な字で書かれたレポートへと向き直った。

 リィンが走らせるペンの音だけが室内に響き、時間は少しずつ過ぎてゆく。
 特に言葉を交わす事はなく、アルティナは時折、床に届かない足を揺らしていた。

 短針が半周した頃。ユウナのレポートまで添削を終えたリィンは、一旦手を止めてアルティナの方を見る。が、彼女と目が合う事はなかった。
 何を見ているのか――と、リィンがアルティナの視線を辿れば、そこには。
「写真、気になるのか?」
 声を掛けられて、アルティナは珍しくきょとんとした表情になる。
「……え」
「いや、じっと見ていたから意外だと思ってさ」
 棚の上には、写真立てが二つ。一つは彼がトールズ士官学院に生徒として居た頃のものであり、もう一つは家族と揃って撮ったものだ。
「写真の前に置いてあるのは、コインですか」
 どこにでもある、何の変哲もない、五十ミラコイン。それがどういうものなのかを知らないアルティナは、小首を傾げて問う。
 一度出かけた言葉を押し込んで、リィンは、微かに笑った。
「……。俺にとって、大事なものだよ。そのコインも、写真も、詰まっている思い出も……全部、かけがえのないものなんだ」
 愛おしそうに、けれど、ほんの少しだけ寂しそうに、リィンは言う。
 それはもう手の届かないものだからか、二度と帰る事の出来ない場所だからか。渦巻いた思いの中から、答えとなる言葉を一つだけ拾い上げる事は、出来そうになかった。
「思い出……」
 何か思うところがあったらしく、アルティナは僅かに俯いて黙り込む。
 そんなアルティナの様子に気が付いて、リィンは横で開いていた教本を閉じる。彼女の胸中をはっきりと知る事は出来ないが、なんとなく、そこに浮き上がっているものを察する事は出来るようになっていた。なんだかんだ言って、一年以上の付き合いにはなるのだから。
「ここでだって、作っていけるはずだ。《Ⅶ組》と一緒に――……」
 言葉を切って、リィンは幾つかの出来事を思い返す。
 最初の訓練でいきなり衝突し、いがみ合うユウナとクルト。一度は繋ぐ事に成功したものの、戦闘の最中にぷっつりと途切れてしまった戦術リンク。互いの得物を生かせば良い連携が取れるはずなのに、上手く噛み合わず、やがて言い合いに発展する。
 特務科《Ⅶ組》にある問題は、それだけではなかった。そもそも二人とも、教官であるリィンに対して、一言では言い表せない複雑な感情を抱いているのだ。壁は一つや二つではない。目の前にいるアルティナとも完全に信頼関係を築いているわけではなく、共に行動した時間とそれは比例していないのが現状だ。
 重いような、そうでもないような息を吐いて、彼は頬杖をついた。
「……まあ、まだまだ乗り越えるものは多そうだけど。いつか、あんな感じの写真が撮れたらいいな、と思ってる。ささやかな夢、というか……」
 卒業する時にでもいい。このクラスで良かったと、笑って別れられるように――。
 リィンの言葉に対してアルティナは何かを言いかけたものの、痞えたかのように、開きかけた口を閉ざした。

 ◆ ◆

 どうして来たんだ――と。
 その問いに、そっくりそのままお返しします、と言う代わりに、アルティナは彼の前に出る。
「以前の話を、思い出したので」
「話……?」
「教官である貴方が居なくなったら、ささやかな夢でも叶わなくなります」
 白に滲んだ赤。クラウ=ソラスが生み出した障壁は、敵対する者の刃からリィンを守った。甲高くもなく、耳障りでもない音が響き、刃を弾き返した障壁はひび割れた箇所から瓦解していく。暫くは使えそうにないが、リィンの危機に駆け付けたのはアルティナ一人ではない。
「リィン教官!」
 あちこちに傷を負いながらも、ユウナとクルトが走ってくる。その更に後方には、見慣れた姿が幾つも見える。真紅が流れ出る腕を押さえて、リィンは順に彼らを見た。
 光の破片が散る中、アルティナはリィンの前にその手を翳す。これ以上は傷付けさせない、と告げるかのように。

「それに、任務などではなく……〝私が〟貴方を守りたい。――そう、思いますから」

――――――――――

朝野さんのリィン教官を守るアルティナのイラストを元にさせていただきました。以前のフライング妄想でもそんな感じの展開を書いてはいますが、その時思い浮かんだ台詞が2パターンあったので今回はもう片方で。
というより、小さな女の子に傷付いた青年が守られている図が好きです。(空SCでティータがレーヴェの前に立ってアガットを守るところとか)

2017.08.05