黎明はかく語りき

「このクラスは、俺を入れて四人。これで全員か」
 偶然なのか、何かの縁だったのかは分からない。奇しくも同じ数字を率いる事になり、あの日々を思い返さずにはいられなかったが、今は一旦置いておくべきなのだろう。
 資料を置き教壇に立つと、初対面の二人の視線が向けられる。そのうち片方は、何かに気が付いたのか、表情を僅かに固くした。気が付いていないふりをしておいた方がいいのだろうか。
 軽く咳払いをして、おそらく知っているであろう名を告げるべく、口を開く。

「まずは俺から自己紹介だな。――今日から担当教官を務める、リィン・シュバルツァーだ。二月にトールズ士官学院を卒業したばかりで、まだ教官としては日が浅いけど……一緒に頑張っていこう。宜しく」

 俺の名を聞いて、桃色の髪の少女――ユウナが、翠の瞳を揺らす。
 その理由は分かっていた。彼女の出身地と、このトールズ第Ⅱ分校へと入学してくる前の経歴は、入学資料に目を通して把握している。それを踏まえれば当然の反応だろう。
「……クロスベル戦線で活躍した、英雄……」
 ぽつりと呟かれた言葉に、俺は何も返す事が出来なかった。
 ユウナ・クロフォード。旧クロスベル自治州出身。憧れていた警察を目指して学校に通っていたが、エレボニア帝国の行った併合により、その夢が叶わなくなり――このトールズ第Ⅱ分校へと入った。彼女にとって俺は、大切な故郷を占領した侵略者なのだ。
 入学動機には〝帝国の実態を確かめる〟と、正直に書かれていた事を思い出す。真っ直ぐな性格なのであろう事は、そこから窺い知れた。
「〝八葉一刀流〟の使い手……」
 少しだけ俯いてしまったユウナの横で、青灰色の髪の少年――クルトが、そう零す。
 クルト・ヴァンダール。代々皇族を守護してきたヴァンダール家の生まれで、あのミュラーさんの弟だという。〝あの人〟の策略によって、ヴァンダール家は皇族守護の任を解かれ――使命感を抱いていた中、突如それを失い目標を見失ったクルトは、ミュラーさんの勧めでここへ入学した。
 夢を絶たれた者と、使命を奪われ失望した者。そのどちらにも、俺は直接、或いは間接的に関わっている。彼らがどこまで知っているかは分からないが、俺が教官であるという事に対して、思う事があるのは当然だろう。
「〝リィン教官〟」
 ほんの少しだけ気まずくなる中、端に座っていたアルティナが口を開いた。
「どうしたんだ?」
「自己紹介において、名前以外の情報の必要性を感じません」
「必要な事だよ。お互いに知らない者同士だろう?」
「……。分かりました」
 アルティナ・オライオン。未だに謎が多い彼女は、あまり自己紹介で話せる事がないかもしれない。内戦後、アルティナが監視役として同行する事が多かった俺でさえも、その出自は知らされていない。ミリアムの事も思うと、気にならないと言えば嘘になるが、問いかけてもはっきりとした答えは貰えないだろう。
 数秒の沈黙の後、ユウナはゆっくりと顔を上げて、クルトは目を逸らしてしまう。前途多難な空気が漂っている気がするが、気張るしかないと言い聞かせた。
 抱いた力をこれ以上利用されないよう、軍という進路を固辞した俺は、先に卒業していった〝仲間〟と情報交換をして帝国の現状を見据え、ある一つの光を見出す。そして、輝いていた日々をくれたあの場所の〝魂〟を守りたいと思い、未知への一歩を踏み出した。

「さて。簡単でいい、順番に自己紹介をしてくれ」

 トールズ第Ⅱ分校・特務科《Ⅶ組》――それが、俺の見付けた新たな道だ。

 ◆ ◆

 流れるように一日が過ぎ去っていき、気が付けば、空は橙に染まりつつある。
「〝リィン教官〟」
 リーヴスの街にある寮へと帰ろうとすると、聞き慣れた声に呼び止められる。振り返れば、アルティナが周囲を見回しながらこちらへと歩いてきていた。
「見かけないと思ったら……どこかに行っていたのか?」
 監視役として派遣されてきたというのに、俺の近くを離れていていいのだろうか。任務に忠実だったアルティナをよく知っているから、珍しく感じてしまう。
「クルト・ヴァンダールと、ユウナ・クロフォードの足取りを少し追っていました」
「……あの二人の? どうしてそんな事を」
「分かりません。ただ……これが〝気になる〟という事でしょうか」
 見上げてくる瞳は相変わらず、感情が強くは宿っていない。が、以前とは少し変わった気がすると、俺は思っていた。いずれミリアムのように――とまではいかなくとも、感情が豊かになる可能性もあるのだろうか。
「うーん……そう思うのなら、そうだという事にしておくのがいいと思うよ」
「返答が曖昧です」
「俺はアルティナじゃないからな……自分の事は、自分が一番知っているってよく言うだろう? 俺が言えた事じゃないかもしれないけどな」
「……誤魔化さないでください」
 じとりとした目で見つめられてしまって、苦笑する。その心の中に芽生えつつあるものが存在しているという事にはまだ、彼女自身は気が付けていないのだろう。
 踵を返して、日が暮れる前に帰ろう、とアルティナを促すと、彼女は一アージュほど離れて俺の後ろをついてくる。
 唯一の知り合いとはいえ、彼女とも、完全に打ち解けたわけではない。新生《Ⅶ組》を率いていくにあたって、越えるべきものは山積みなのだと、改めて実感する。

「……〝リィンさん〟」
「?」

 やるしかない、と内心で思っていたところに、以前の呼び方で声が掛かる。
「ユウナ・クロフォードは、併合されたクロスベルの出身です」
「……そうだな」
「クルト・ヴァンダールは、ギリアス・オズボーン宰相によって皇族守護の任を解かれた、ヴァンダール家の者です」
 アルティナが言いたい事は、なんとなく分かる。
「…………」
 口を開きかけるも、一度閉ざす。それを言ってきた彼女に、奥底に生まれたのであろう〝感情〟の事を話しても、分かってはもらえないのだろう。
「心配ない。これは俺が選んだ〝道〟だからな」
 俺の勘違いかもしれない。けれど、アルティナの瞳を一瞬過った色を、俺は見逃しはしなかった。
 その頭へと手を伸ばして、ぽん、と軽く叩いてやると、アルティナは再度、じとりと見つめてくる。
「やはり理解不能です」
「はは……きっと、分かる日が来るさ」
 再び歩き出すと、アルティナはまた、一アージュほど空けて後ろをついてきた。

 ◆ ◆

 不思議なもので、そんな昨日の出来事を、夢として見た。
 いや、あれは夢という名の追憶だったのだろうか。何と言っていいのかが分からない。
「……」
 緩やかな覚醒だった。ごく自然に目覚めたし、持ち上げた瞼は重くはない。
 ぼやけた視界が鮮明になってからも、時計は敢えて見なかったが、夜明けの前なのだろう。少しだけずらしたカーテンの向こうには、薄暗い空が広がっている。

 ――起きるのにはまだ、早そうだ。けれど、なんとなく、起きなければいけない気がしていた。

 そう思った、はっきりとした理由はない。ただ、心がそう告げている。だから素直にそれに従って、ゆっくりとベッドから起き上がった。
 行く場所は決まってはいない。これといった目的もない。それでも、とりあえず外に出て、気が向いたところへ行ってみよう、という不思議な気分にさせられている。
「……よし。行こう」
 最後に袖を通した白いロングコートは、今ではだいぶ軽く感じる。少し重く感じていた頃が懐かしく思えてくるほどだ。
 太刀を携えて、部屋を出る。丁度いいから、少し朝の鍛錬でもしていこう――と、今のうちに、理由を自分の中で作っておいた。
 何故か、懐かしい気配がしていた。見慣れた土地ではないはずなのに。
 気の向くままに歩き続けて、十数分。運良く魔獣とも遭遇せず、朝露が葉を伝う森を通り抜けると、少し高台になっている場所に出た。
 見上げた空は、青い。ただひたすらに。海のような、どこまでも果てのないその色は、手を伸ばしても決して届く事はない。

『ただひたすらに、ひたむきに、前へ――』

 ふと思い返したその言葉は、確かに後押しになってくれたと、心に刻んでいる。俺だけじゃない、どこかで自分の道を歩んでいる《Ⅶ組》の皆も同じだ。
 あの時は叫んでしまった。〝あいつ〟のした事が全部無駄だったのかと、実の父親の胸倉を引っ掴んで、らしくもなく。
 けれど、無駄だなんて思いたくなかったから、俺達は証明しようと決めた。〝あいつ〟が残した言葉を抱いて進み、先の見えない未来へと真っ直ぐに歩いて行く事で。
『リィン君……これから、大変な事も沢山あると思う。だけど、忘れないでね。わたし〝達〟の事を』
『修行は過酷なものとなるが……必ず戻ると誓おう。そなた達と培ったものを、決して無駄にはしない』
『もちろん、大変だろうけど……貴方が頑張っているのに、私も負けていられないって思うから』
『兄上の事は、俺にも分からない。だが……立ち止まってはいられないからな』
 過っていった鮮やかな記憶は、まだ、色付いてくれている事に安堵する。あれから急激に増やされてしまった、薄暗い記憶に押し潰されてしまわないよう、大切に守ってきた小さな光の欠片なのだから。
『うん、リィンが教官かぁ……ぴったりなんじゃないかな。それに、リィンが僕らと情報交換をして、今の帝国を知ってそう考えたなら……君が探していた〝道〟だって、信じていいと思う』
 エレボニア帝国がどこへ向かうのか、そして鉄血宰相――ギリアス・オズボーンが何を企てているのかは、まだ掴めていない。あの後沈黙を保っている結社も、いつ動き出すか分からないのが現状だ。それらを受けて考え抜いた結果が〝教官〟という道だった。
 ――何かが、変わろうとしている。
 それは俺の周りの環境でもあり、違った何かでもある。明確には分かっていないそれが、いつか世界に牙を剥くであろう事は、薄っすらと感じていた。
 ――だとしたら。もしも、の事が起きたとしたら。 

「……俺は……」

 地平の彼方から、一筋の光が差す。そして、暁の光が世界を照らしてゆく。暗い闇を振り払って、一日の始まりを齎す。抜き放った太刀の切っ先の上で、昇ってきた朝日が黎明を告げようとしている。
 周囲には自分以外、誰もいない。あるのは静寂と、夜明けの柔らかな光だけだ。
 けれど、ちゃんと分かっている。実体のない、背後の存在に気付いていないわけではない。でも、振り返ってはいけないのだ。今はきっと、その時ではないのだから。

「俺なりに、戦ってみせるよ。――《Ⅶ組》と一緒に」

 誓いを立てるように語りかけると、後ろで誰かが笑った気がした。

2017.03.09