0-7 この感情の名前、今はまだ分かりません!

※イベントで展示していた短め小話×3です。

①二人の間にある距離の名は

 王都の大通りには、大小さまざまな店が並んでいる。人々の生活を支えるもの、娯楽となるもの、シアリィにとってはまだよく分からないもの――等、ずっと眺めていても飽きないほどだ。気になるものがあったら後で相談しよう、と思っていても、十以下に絞り込むことができない。すべてが新鮮で、すべてが興味の対象だった。
『今日は修行は休もう。代わりに、王都へ行かないか』
『い、いいんですか?』
『街を見るだけなら、戦いはめったに起こらないから。何かあってもオレが対処するよ』
 ずっと聖域にいるのも退屈だろうから、という理由で地上の要・王都フェグダへ連れ出してもらったシアリィは、薬草を買い足しに行ったエーヴィとは一旦別行動をしていた。危険な目に遭ったら迷わず鳴らしていいと言われた小さな笛を三つ提げ、からからと鳴るそれらの音を聞きながら、人々の合間を縫って散策を楽しむ――巡回にはまだ同行できないシアリィにとって、貴重な地上での時間だった。
 外見年齢相応の可愛いものに惹かれて店員から話を聞いた数分後、師が好みそうな妙なものを見つけて立ち止まる。それを繰り返しつつ、シアリィは長い大通りを進んでいた。
「おっ。お嬢ちゃん、これに興味があるのかい?」
 刃にやや丸みがあり、鋭利さが落とされている、装飾は控えめなものの神聖さを漂わせる一本の剣。
 見慣れない形状のそれが気になり、シアリィが武器屋の前でなんとなく足を止めると、ひげを生やした店主が裏からひょっこりと顔を出した。
「はいっ、綺麗だなぁと思って。でも、剣なのにあまり斬れなさそうですね?」
「そいつは儀礼用の長剣だな」
「ギレイ?」
「祭事や儀式の時に使うもの……とでも言えばいいのか。あんまり目にする機会はないかもしれんなぁ、うちでも売れるのは稀だよ」
 剣は戦うためだけにあるわけじゃないんだ、という気持ちが、シアリィの目を儀礼用のそれから離させない。そのような場で用いられる綺麗な剣は、似合う人物が持てば絵になるような光景になるのではないか、とさえ感じた。
 つまり、真っ先に想像したのは自分が使う姿ではなかった。師であり恩人でもある――
「シアリィ、何か気になるものがあったのか?」
「!」
 ぱちん、と浮かんでいた想像が弾けて、現実に引き戻される。そこの中にいた人物に突然声をかけられて、シアリィは小さく肩を跳ねさせてしまった。
 振り返ると、薬草が入っている小瓶を提げたエーヴィが不思議そうな表情で立っている。剣を眺めているあいだに追いついてきたようだった。
 驚かせたならすまない、と謝った彼は、シアリィの視線を辿る。
「あ、えっと。不思議な剣があったので、見ていたんです」
「儀礼用の剣か。確かに装飾が綺麗なものが多いな」
「いいねぇ、兄妹で旅行かい?」
「キョウダイ?」
 エーヴィと話していると、店主が声をかけてくる。
 キョウダイ――言葉としては知っている関係だった。ただ、自分とエーヴィの間にあるものとは違う気がして、シアリィは思わず首を傾げる。
「あれ、違うのか? でも確かに、あんまり似てないな、あんたら。何か事情があったなら悪」
「ぼく知ってるー! こういうひとたちのこと、コイビトっていうんだよね!」
 いつの間に店内から出てきたのか、店主の足元には八歳ほどの少年がいた。
 無邪気な瞳にシアリィとエーヴィを映し出して、大通りに聞こえるくらいの声量で、少年はそう言う。
「ばっ……コラッ、勝手なこと言ってないで店番に戻れ!」
「はぁーい」
「……すまんなぁ、アイツが変なこと言って。気にしないでくれ……」
 渋々、といった様子で中へと戻っていく少年。少しだけ跳ねていたのは、機嫌がいいからなのだろう。頭を抱えている店主とは正反対だった。
 コイビト。初めて耳にする言葉に、シアリィはエーヴィのほうを見る。
「あの、師匠。コイビトってなんですか?」
「そうだな……一言で言えるような、言えないような」
 分からないことを尋ねると、はっきりと答えて教えてくれることも多いエーヴィ。長く生きているがゆえに知識がある、と思っていた。
 そんな彼でも、誰かに意味を伝えるのが難しい。ますます気になって、シアリィは彼に向き直る。
「難しい言葉なんですか?」
「…………簡潔に言うなら……ずっと一緒にいたい人、って感じ、かな」
 かなり言葉を選んでいたのか、考え込んでいたエーヴィは少し間を空けてそう返す。横で店主がうんうんと頷いているあたり、間違っていないのだろう。
 なるほど、と思いつつ、シアリィはエーヴィの腕を引いた。
「それなら間違ってないじゃないですか!」
「間違ってない?」
「わたし、あなたと一緒にいたいです! 色々なことを教えてくれますし、きっとこの気持ちがそうなんですよねっ」
 ひとりぼっちだった廃墟から連れ出してくれた恩人であり、剣や魔法を教えてくれる師匠。シアリィにとってエーヴィは、まさにそんな存在だった。彼と一緒にやりたいことも、見てみたいものもたくさんあるのだから。
「なんだ、本当だったのか?」
「……。ご想像に、お任せします」
 戸惑いか、それとも、困惑か。〝コイビト〟の意味を知ったばかりのシアリィにとって、エーヴィのその反応はどこへ振り分けられるのか分からない。

 義理の兄妹――エーヴィとシアリィの間にある関係にその名前がついたのは、その少し後のことだった。

②白百合の証

 整頓されているように見えても、裏側に混沌が潜んでいる魔窟――。
 何かの物語の中で、中身が片付けられていない物置きがそう記されていたのを、シアリィは思い出す。
「えーと……これ、は」
「……」
 不規則に積まれている、種類が統一されていない箱たち。隙間に上手く突っ込まれた、布に巻かれている何か。積まれている本の数々は、保護魔法のおかげか埃は被っていないものの、いつからここに置かれているのか予測ができないほど古いものに見える。
 未知が降り積もった、ぐるっと一周するのに三分はかかりそうな広さの部屋を見回したあと、シアリィが思わず顔を上げると、エーヴィはやや気まずそうに目を逸らした。
「師匠、ここ……どれくらいのあいだ、お掃除してないんですか……?」
「…………忘れた」
「そ、そんなに経っちゃってるんですね」
 片付けるところがあったら手伝います、と何気なく言ったシアリィを待ち受けていたのは、かなりのあいだ手をつけていないという保管庫だった。聖域の奥にあるその場所には随分と立ち入っていないようで、扉の鍵を探すのにも時間を要していたほどだ。
 曰く、めったに使わないものを保管している場所で、中には数万年前の物も含まれていると、エーヴィは足元の石を拾い上げながら言った。
「そろそろ、確認しないとな……とは思ったんだが。想像以上に物があったな……」
「片付けがいがありそうですね、ぱぱっとお掃除しちゃいましょう!」
「今日はとりあえず、右側の――あの棚の近くを見よう。さすがに、全部やっていたら時間がかかる」
「分かりました!」
 物を保つための魔法が部屋全体にかけられており、埃が積もるようなことはなく、空気も濁っていない。深呼吸をしても噎せることがなかった。
 シアリィが腕捲りをして踏み出すと、どこからか差し込む光が棚に置かれた小瓶を照らしているのが目に入る。海原を切り出した色彩を宿している硝子の中には、大小さまざまな貝殻が閉じ込められていた。いつの時代からやってきたものなのか、シアリィには分かりそうにない。
 綺麗なものを集めて、どこかに飾っても良さそう――そう思いながら視線を動かすと、棚に寄りかからせるように、鋼鉄で覆われた分厚い本が置いてあるのを見つける。軽く押しただけではびくともしないほどの重さだ。
「あのっ、このすごく重い本はどこに入れますか?」
「入れるならあっちの棚だな。オレが後で動かしておくよ」
「本棚の裏から瓶がたくさん出てきました!」
「魔法を詰めるための空き瓶か、こんなところに。せっかくだから使ってみるか……小さいのだけ、広間に運んでくれるか?」
「はいっ」
「ん、この袋はなんだ……?」
「わっ、布切れですか? 何に使うつもりだったんでしょう」
「用途が分からないな。少し調べて、意味がなさそうだったら捨てておこう」
 時間という名の地層の中で、静かにそこにあり続けた物たち。全部を片付け終えるまでにどれほどの時間がかかるのか、今の時点ではちっとも予測ができなかった。
 ――でも、こうして色々なものを見ているのも楽しいです。
 新鮮なもの、未知なものを好むシアリィにとって、保管庫は興味の塊と呼びたくなる場所だった。
 そんなことを思いながら手を動かしていると、古書の下に、仄かに光る何かがあるのを見つける。
「あれ? この箱、ちょっと光ってます」
 ほかと比べると控えめな装飾が施された、白い木製の小箱。気になって開けてみると、そこには白百合の花が入っていた。
 身に着けるためのものなのか、花の裏側には青い紐と金具が付けられている。
「わぁ。お花の髪飾りでしょうか? 綺麗ですね!」
「それは……」
「なんだかずっと見ていたくなる感じがします。魔法がかかってるんでしょうか、不思議な空気がくっついてますね」
「……」
 横から覗き込んできたエーヴィにとっては、心当たりがあるものなのだろうか。遠くにある何かを見るような眼差しの中に、どのような感情があるのか。シアリィには掴み切れないものだった。この数秒間で一つだけ分かったのは、きっと、彼にとって思い入れのあるものだった、ということだ。
「師匠、これはどこに片付けますか? うーん、でもこんなに綺麗なら、飾ってもいいと思いますけど……広間の柱とか……いえ、壁のほうがいいですよね」
 大事だからこそ、こんな奥にしまっていたのだろう。シアリィはそう判断した。
 そう思いつつ、なんとなくそのままにしておくのを惜しく感じて、髪飾りを光に透かす。摘まれた時のままで止まっている白百合の花は、シアリィの手の中で僅かに魔法の粒子を纏った。
「シアリィ」
「?」
 惹かれるままに眺めていると、本を手に持ったままだったエーヴィが、そっとそれを床に置いて屈んだ。
「この髪飾り、君さえよければ譲ろうか?」
「えっ!? い、いいんですか?」
「ほら、オレは男だから、花の髪飾りを付けることはないだろ? いつかなんとかしないとな、とは思っていたんだが……それに、君がだいぶ気にしているようだったし」
 あなたが付けても、かわいいと思いますけど――とは言わなかった。少し前に読んだ童話で、かわいい、と褒められた少年が複雑そうに笑っている描写があったのがよぎったからだ。
 もちろん、人によってその感覚が異なるのは、シアリィも理解している。ただ、一応大人の男性であるエーヴィにその言葉をぶつけても、困らせてしまう気がしてならなかった。
「でも、師匠の大事なものなんじゃ」
「大事にしてくれる人のところに渡るなら、その髪飾りも嬉しいと思うよ」
 ここでシアリィが受け取らなかったら、これは再び、どこかへしまわれることになる。それはもったいない、とシアリィは感じていた。
 人の姿を得る前は、白百合の花だったからなのかもしれない。
「それなら……。ありがとうございます、大切にしますね!」
 金具に通されている青い紐はそこそこの長さがあり、髪にくぐらせるようにして巻けばしっかりと固定できそうだった。
 片付けが終わったら試そう、と次の箱を手にしようとして、ふと、シアリィはあることを思い出す。
「今思い出しましたけど、このお花、わたしと師匠が出会ったあの村に咲いてましたよね」
「そうだな。あの村――クレアシオ村で、昔からのしきたりのためにあるものだった」
「しきたり?」
 シアリィが白百合の花としての自我を持った時点で、廃墟と化していたクレアシオ村。どうやらエーヴィの故郷のようで、時々、彼が墓碑の前に花束を供えていることはシアリィも知っている。
 小さくてよそとの交流も少なめの村だったから、不思議な決まりごとがいくつかあったんだよ、とエーヴィは補足した。
「成人したあと、生涯を共にすると誓った人に贈るものとして作られていた。少し特殊な魔法がかかっているから、生花だけど枯れないようになっているんだ」
 今は、人が婚姻の約束をする時には指輪を贈るのが一般的となっている――これも、シアリィが本から得た知識だ。
 そんな決まりがある村もあったんだなぁ、と思う一方で、彼の所有物であるという事実が、脳内であることを弾き出す。
「素敵なお話ですね……って、わたしが貰ってしまっていいんですか!? 師匠が持ってるってことは……!」
「もうしきたりは失われているし、今のオレはもう、そういったものとは縁はない。誰かに渡したものでもないから、気にしなくていいよ」
「…………」
 体の中心の動く数がいつもより多く、ぐるぐる、と頭の中を何かが巡り始める。
 目の前にいるエーヴィと髪飾りを交互に見て、シアリィは今までに抱いたことのないそれに困惑する。
「シアリィ?」
「そ、その、よく分からなくて。今ちょっと、このあたりが不思議な気分なんです……」
「片付けは、修業とはまた違う形で体力を使うからな……。具合が悪かったら休んでいいよ、無理しなくていいから」
 多分、そういうことではないんだと思います――と言いかけて、押し込む。
 名前の分からない感情の行き場が分からず、そもそも、曖昧な判別でしかないからだ。

 本で調べても答えには辿り着けなかったため、地上で出会うことになる仲間にそのことについて真っ直ぐに尋ねてしまうのは――また別の話。

③よわよわなもの

 聖域には時々、光を纏った小鳥が手紙を運んでくる。伝承を信じて守り人へ言葉を届けようとする者からの手紙が多かったが、ここ数年は、地上からやってきた〝友人〟からのものが増えたようだ。窓辺に降り立った小鳥からそれを受け取って、シアリィは白亜の神殿を小走りで駆けていく。
 手紙の主は開けずとも分かる。国王アルファルドからの手紙はいつも魔法で封がされており、一目見て分かるものだったからだ。彼らが親しいことをよく知っているシアリィの中には、早く届けてあげたい、という純粋な気持ちがある。
「師匠ー? お手紙が来ましたよー」
 今日は珍しく、小鳥の来訪を察して待っていることが多いエーヴィの姿が見えなかった。こういう時はだいたいどこかで本を読んでいるか、何か調べ物をするために書庫に入り浸っているが、シアリィは数時間前、自分の部屋へ入っていくエーヴィの後ろ姿を見かけていた。どこかへ移動していなければ、そこにいるはずだった。
 呼びかけても反応はない。が、鍵はかけられておらず、取っ手を引くと扉はあっさりと隙間を作り出した。
「師匠、入りますね……って、わああっ! ど、どうしたんですか!?」
「……」
 一応扉を数回叩いて、部屋に入ったシアリィの目に飛び込んできたのは――思わずさぁっと血の気が引くような光景だった。
 白基調でまとめられたエーヴィの自室。その蔦が絡む窓枠の前に置いてある、やや大きめの机。硝子でできているというそこの上に、声をかけられても身を伏せたまま、一テムも動かないエーヴィがいた。その足元には割れた瓶が落ちており、中に入っていたのであろう液体が床に広がっている。
 ちょっとした惨事。普通の人間が見たら、間違いなくそう感じるものだった。毒を用いた殺人事件だと捉えてしまう者もいるだろう。
「具合が悪いんですか? どこか痛むなら薬草を持ってきます!」
「ちが」
「血!?」
 大怪我でもしているのかと思い、エーヴィの体を確認するシアリィ。見える範囲に流血している部分は見られない。
 すると、腕を枕にして二文字だけ発した彼は、ゆっくりと顔を上げた。
「違うんだ、大丈夫、だから」
 言葉とは最も身近で最も難しいものである、という記述が、どこかの有名な学者の著書にあった。音と文字とでは、伝わる時に意図がズレてしまうことがあるのだ。
 はぁ、と吐かれた息はかなり重い。額に自分の手を押し当てて、俯いたまま彼はそう零した。嗅いだことのない匂いが漂うも、師の危機に慌てるシアリィに、それを気にする余裕などない。肩に手を置いたまま、エーヴィを覗き込みつつ声をかける。
「そんなにぐったりしていたらセットクリョクがありませんよ! お布団で休んでください……って、本が積んであります……!」
「本当に、平気なんだ……」
 古い書物が散乱したエーヴィの寝台。睡眠を必要としない身ゆえに、寝台を仮の物置き場として使ってしまっているようだった。
 その覇気のない声で言われても――と出そうになった言葉を、シアリィは飲み込む。彼が床を指したからだ。
「たまには紅茶を飲もうと思って……そうしたら、水と、それを間違えただけで」
「水……?」
「君は、飲まないようにな。有害なものではない、んだが」
 つまり、この水そっくりの何かを誤って飲んでしまい、エーヴィはこのような状態になってしまった――のだという。魔法でそれを作るがゆえに、気づけなかったのだろうか。
 状況の把握はできても、未知のものが目の前にある。シアリィは思わず、こぼれた液体から一歩引いた。
「し、師匠を弱らせてしまうなんて……これ、なんなんですか?」
「さけ」
「サケ?」
「大人が好んで飲むものだよ」
 曰く、果実や穀物を発酵させて作る飲み物のことをそう呼ぶ。酔う成分が含まれているのもあって、地上では飲むのに年齢の制限が設けられている、と。
 今まで人の世界にあるものに対する興味や好奇心は尽きなかったものの、初めて、シアリィの中にひやりとしたものが伝った。
「ふらふらになっちゃうなんて、ちょっと怖いです……人は、そんなものを飲むんですか」
「大丈夫な人にとっては、美味しいものだからな」
 大人が日々の嫌なことを忘れたい時、または、仲間と集まって盛り上がる時――等、そういった場には酒があることが多いという。苦手な人にとってはとことん苦手でも、好む人にとっては、人生の中で何度も友人のように付き合うことになる存在の一つでもある。
 そう話し終えた途端、エーヴィは再び、机に顔を伏せてしまった。
「……ダメだ……少し休む。何かあったら、叩き起こしてくれないか」
「ま、任せてください!」
 基本的に睡眠をとることのない彼だったが、どうしても抗うことができないらしい。
 すぐに夢の中へと旅立ってしまったエーヴィにやや厚めの布をかけながら、シアリィは素直に思う。

 ――わたしが、絶対に師匠を〝サケ〟から守らないと!