Epilogue Resonance

There’s no turning back from here.
So let’s just keep moving forward!

 差し込む朝日の眩しさで、目を覚ます。
「ん……もう朝か」
 体を起こして窓を開けば、爽やかな空気が流れ込んでくる。陽の光を目一杯浴びて、その中で大きく伸びをした。心地の良い朝だった。
 カレンダーを見てから今日の予定を軽く思い返して、手早く支度をする。日課にしている鍛錬の事も考慮すると、あまり悠長にしている時間はないようだ。
「…………」
 冬に包まれていた帝国には、暖かな春が訪れていた。
 切り取った日捲りカレンダーは、そのまま机の隅に重ねてメモ用紙にしており、その枚数は随分と増えてきている。あの日からもうそんなに経ったのかと、時の流れの速さを改めて感じた。

 ――あの後。俺とクロウは無事に、現実の世界へと帰還した。
 しかしそれでも、クロウの負った傷はそれなりに深かったようで、少し経ってから目覚めた俺と違い、クロウはなかなか目を覚まさなかった。
背筋を一瞬冷たいものが伝ったが、ヴァリマールがクロウは無事である事を伝えてくれたおかげで、ようやく、心の底から安堵を覚える事が出来た。
「やっと……終わった、んだな……」
 まだ、本当の終わりではない。エレボニア帝国を覆う闇を、一閃出来てはいない。
 これからが始まりなのだと分かってはいても、そう零さずにはいられなかった。
 俺の中で、ぷつりと張っていた糸が切れるような感覚がする。否、本当に切れてしまったのかもしれない。そのまま気を失ってしまった俺の記憶に残っているのは、そこまでだった。

「クロウは君と一緒に、すぐに病院に搬送されたんだ。処遇は目を覚ました時に伝えられるように、これから決めるみたいだけど……クロウ、どうなっちゃうんだろう……」

 駆け付けてくれていたオリヴァルト皇子達の協力もあり、事態がどうにか収拾されたと知ったのは、四日後に目を覚ました時だった。
 様子を見に来てくれていたエリオットは、目を覚ました俺に、心配そうにそう言う。
「……そうだな。処刑、はされないと思う。クロウは貴重な起動者だ、セドリック皇太子を助けた事もある。さすがに、恩赦とまではいかないだろうけど……それに、そんな事は俺がさせない」
「そうだね。リィンなら、そう言うと思ってたよ。……何度も頑張って、やっと取り戻せたんだから当たり前だよね」
「ああ、そうだな――って…………エリオット?」
 エリオットの言葉に妙な引っ掛かりを覚えて、俺は彼を見つめる。
 真っ直ぐに視線を向けられたエリオットは、少しだけ照れ臭そうに笑って、椅子へと腰掛け直した。
「リィン。変だって思われるかもしれないけど、君に聞いて欲しい事があるんだ」
「聞いて欲しい事?」
「うん。リィンが眠ってるこの数日間で、僕達は〝夢〟を見たんだよ。《Ⅶ組》の皆や、サラ教官……先輩達も。皆が同じものを」
「夢……?」
 思わず小首を傾げる。エリオットは続けた。
「長い、長い〝夢〟だった。リィンが先輩だったり、クロウと、本気で……殺し合ったり、君がクロウと同じ事をして、居なくなってしまったり。なんども時間が繰り返される――そんな〝夢〟だったんだ」
「……え」
「不思議だよね。僕達全員が、ほぼ同時に見てるんだ。……そこで、思ったんだけど。あれはきっと〝夢〟なんかじゃないよね?」
 僕の憶測でしかないんだけど、と言って、苦笑するエリオット。何の確証もないというのに、どうしてその考えに至ったのか――。
 言葉を詰まらせる。それは肯定を意味しているようなものだった。
「時々、違和感はあったんだ。初めて行くはずのところに既視感があったり、一瞬だけあり得ない光景が過ぎったり……だけどすぐに、泡みたいに消えちゃってたから、ずっと気が付けなかった。その夢を見てから、そういえば……って感じで色々思い出してきたんだけど」
 俺は無意識にシーツの隅を握って、内側に渦巻くものを抑え込む。いずれ機会があれば話すつもりではいたが、向こうから先に言われてしまったからか、心の中には微かな罪悪感が生まれていた。
 そしてエリオットは、そんな俺の様子に気付いているようだった。向けてきた視線がそう語っているが、言葉を探している俺を待たずに、敢えて、エリオットは続ける。
「僕達がいるこの世界が、何度も巻き戻されたものだとして……リィンの事だから、皆を巻き込んでしまった、とか後悔してるんじゃないかなって思ったんだ」
「……」
「そうだとしたら僕達は、巻き込まれて困ったとか迷惑だとか……そんな事は、ちっとも思ってないよ。……だけど、ちょっと悔しかったかな」
「悔しい?」
「うん」
 予想していなかった単語が聞こえ、顔を上げてエリオットを見る。
「あの力と同じか、それ以上に君は大変な思いをしていたのに、力になれなかった。……一緒に過ごした時間は、確かに短かったかもしれない。でも、僕達にとっても、クロウはかけがえのない〝仲間〟だから……出来る事があるならしてあげたかったな、って」
「……エリオット……」
「だからね、リィン。何か……辛い事とか、抱えてしまいそうな事があったら、遠慮しないで教えて欲しいんだ。内戦は終わったけど、これから何が始まるか分からない。本当の戦いはこれからなんじゃないか、って皆と話してて……あ、頼ってくれてなかったとか、そういう事じゃないんだよ? もっと支えさせて欲しいんだ。どんなに小さな事でもいい。リィンにはたくさん助けられたから……僕達は僕達なりに、必ず君の助けになってみせる」
 笑ったエリオットは、立ち上がって閉まっていた窓を開いた。
 吹き込む穏やかな風。柔らかな陽光。振り返ったエリオットは窓枠に寄りかかって、差し込む光の中で口を開く。心の中に置いてあった言葉を拾い上げ、意味のある音として届ける為に。
「改めて言うのも変かもしれないけど……皆を代表して言うよ。これからもよろしくね、リィン」

 目を覚ました日の事を思い返して、笑う。なんだかお互いに照れ臭くなってしまって笑っていたら、ユーシスとマキアスと共に病室に入ってきたミリアムに真正面から飛び付かれたのはその数分後の事だ。
「そろそろ行こう」
 思い出に浸るのはいつでも出来る。今は、二年目の学院生活に備えて気を引き締めないといけない――。俺は赤の上着に袖を通して、自室の扉を通り階下へと降りた。
 あれからおおよそ三ヶ月――クロウは、未だに目を覚まさなかった。クロウがいる病院をなかなか訪れる事が出来ず、最後に様子を見に行ったのは確か、一週間ほど前だ。生命状態に異常はないが、何故か昏々と眠り続けている、と医者から聞いていた。
『……そうですか。でも、今は――……いえ、なんでもありません。また来ます』
 その理由を、俺は知っている。けれど、いつその時が訪れるのかは、あいつ次第だ。
『色々心配事もあるだろうけど……大丈夫よ。近々、きっとイイ事があるわ』
 数日前、そう言ってぱちりとウインクをキメてみせたサラ教官の言葉を、歩きながらふと思い出す。
 サラ教官も、他の《Ⅶ組》の皆も、俺に対して何かを隠している様子だったが、それを敢えて追求はしなかった。サラ教官の言葉通り、近いうちに、それが何なのかが分かる時が来るという確信があったからだ。

 しんとした階段を一歩ずつ降りて、階下へと向かう。空気が吸い慣れないと感じるのは、〝この時間〟を迎えるのが、久しいからだろうか。

『来月からは、リィン君も先輩なんだね。……大丈夫! わたしも、アンちゃんも、ジョルジュ君も――クロウ君も。先輩になる時はちょっと緊張したけど、後輩を見たら頑張らなきゃって思えたから!』

 これからまた一年を過ごす学生寮を歩き、入り口の扉の前で立ち止まる。ここから、新しい時間が流れ始める。今まで辿り着く事のなかった、未知の未来へ続く道だ。
「……よし」
 一度息を深く吸い、吐く。取っ手に手を伸ばす。徐々に開いていき、トリスタの街へと繋がる道は広がってゆく。澄んだ空気に包まれ、眩しい朝日が差す中、変わる事のないトリスタの景色が現れ――そして。

「…………!」

 息を呑む。少しだけ目を擦るが、もうこれは夢などではない。
 扉を開ききった先、トリスタの街を背景にして、佇む影が一つ。見間違えるはずもないその人は、学生寮の方は一切見ずに街をぼんやりと眺めているようだった。
「……」

 時はゼムリア暦千二百五年、三月三十一日――。

 その背に向かって、処遇はどうなったのか、とか、これからどうするんだ、等、問いかけたい事は沢山ある。あるが、それらは真っ先に言う言葉ではないだろう。
 どこからか飛んできたライノの花びらは蒼穹の中で舞い、俺の目の前でくるくると回りながらゆっくりと落ちてくる。それを掌で受け止めて、儚さを秘めたその白を、再び風に乗せて飛ばした。
 背後の気配にようやく気が付いたのか、目前のあいつはゆっくりと振り返る。その手には同じくライノの花びらがあって、思わず笑いそうになってしまった。やっぱり惹かれるものがあるよな、なんて、柄にもない事を言いたくもなる。
 心地のよい沈黙。一度風が吹いて、あいつは穏やかに笑ってみせた。その手から白が飛んで行って、青空へと吸い込まれてゆく。
 そして俺は、その名を呼ぶ。

「おはよう。クロウ」

 ◆

 一つ息を吐いて体を起こし、俺は窓際に置いていた懐中時計を再び見た。今でも夢だったのではないかと思えてしまうが、すべてが現実で、大切だった時間だ。俺の少し後ろにあるベッドの上で、布団の塊になって身動ぎしている存在も、それを証明している。
 硝子の向こう、窓の外の空には星が輝いている。明日――日付を越えているから、今日と言った方がいいだろうか――の予定を思い出して、息を吐く。閉じた瞳の裏側を、桃色の髪の少女と、薄い青色の髪を持つ少年が過ぎってゆく。思わず、小さく笑った。まだ純粋な彼らとは、どこまで行けるだろう。

 窓側に立ち、澄んだ空気を吸う。漆黒の空を、黒の鳥が一羽だけ飛んで行った。

 黎明。それは必ず訪れるものでありながら、今は遠くにある。帝国を覆う夜は長く、暗いのだ。その事に気付いている者も、気付いていない者も――先の見えない闇の中で、成すべき事の為に戦い続けている。

 何が間違いだったのだろう。何が正しかったのだろう。今の俺は、それさえも分からないままだ。秤は不安定に、どちらかに傾く事を繰り返している。
 歩んできた道には様々な〝色〟があった。それらは複雑に混じり合い、時に支え合いながら、一つの空となって繋がっている。道を見出すには、その色をもっと識らなければならない。無知なままでは、戦えないのだ。
 これから更にその渦中へと飛び込む事になるであろう、運命という螺旋の中で、俺は乗り越えないといけない。身喰らう蛇の計画や、鉄血宰相の目的――そして、掴み取らなければ。俺自身が何者で、何を成すべきなのかを、この手で。
 胸元に、作った拳を当てる。在るものを否定するのは欺瞞。かつて言われた言葉も、俺の一部になってくれている。だから俺は今、ここに立っている。ここに居る。

 そして――白を翻して、俺は歩き出す。灰色の騎士の名を背負って進んでいく。輝ける明日を目指して、自分の道を照らし出す閃光を追いながら、戦い続ける。
 どんなに過酷な運命が待ち受けていようとも、どんなに辛い事が起ころうとも、この手で道を切り拓くと決めた。

      

 帝国の闇へと描いた一閃の軌跡で、すべてを終わらせて――もう、繰り返さない為に。

END