一章【繰り返しはしないと決めたから】

 いつもと何も変わらない朝を迎えた、はずだった。

 普段よりも学院が遠く思えて、動かす足どころか体が僅かに重いと感じるのも、きっと気のせいだ――と、リィンは自分に言い聞かせて教室の扉を開けた。
「リィン教官おはようございま――……って、ふらついてますけど……大丈夫なんですか?」
 ユウナからそう言われて、リィンの頭上には数秒置いてから疑問符が浮かび上がった。
 思わず、彼は小首を傾げる。
「え……そうか?」
 きょとんとした様子の彼の額へ、アルティナと一緒に駆け寄ったユウナが手を当てる。
「うーん、熱っぽいような……教官、熱計りました?」
「いや、何もしていないけど……」
 下から感じる視線。リィンが言葉を中断してそちらを見れば、アルティナが同じように手を当てようとしているのか、彼をじっと見上げていた。
 ちょっとだけ、背伸びが必要かもしれない。そう思ったリィンは、アルティナと視線が合うくらいまで屈む。
「失礼します」
 ぱちん、と。かなり控えめな音を立てながら、痛くない程度の力で、その小さな両手はリィンの両頬を挟んだ。
「アルティナ……?」
 彼女は真剣な眼差しで、リィンを見つめている。
「顔も少々赤いような気がしますが」
「あ、あはは……アル、挟まなくても大丈夫だよ?」
「風邪かよ? とっとと寮に戻れや」
「あらアッシュさん、お優しいんですね」
「ケッ、違ぇよ。うつされたら困るだろうが」
 そっぽを向いてしまったアッシュだったが、邪険に思っているような様子ではまったくなかった。素直ではないアッシュを揶揄うミュゼ、という流れは、二年目になっても継続のようだ。
「だけど、今日も歴史学や教練があるし……」
 体調を崩すなんて教官として情けないと思うし、ただでさえ人手が少ない分校の教官枠を空けてしまうわけにはいかない。
 痛みを訴える頭のこめかみを押さえて、リィンが入り口に寄りかかった時だった。
「ったく、お前はそういうトコも変わらねえのな」
 リィンの後ろから現れたクロウは、小脇に歴史学の教本を抱えていた。普段リィンが使っているそれは、どうやらブリーフィングルームに置きっぱなしだったらしい。
 ぽすん、と、教本がリィンの頭の上に乗せられる。
「クロウ教官。おはようございます」
「はよーさん。……で、お前は寮でも医務室でもいいから寝とけっての。こういう時こそ副教官の出番だろうが? 分校長サマには俺から話して……」
「シュバルツァー。責任感が強いのは良い事だが、ここは甘えるべきだろう」
 クロウの言葉を遮った声。教室内に居た全員が後ろを見る。
 いつから扉が開いていたのやら、そもそもいつの間に入って来ていたのか――全員の視線の先には、オーレリアが腕を組んで立っていた。
「ぶ、分校長!? いつから見てたんですか?」
「シュバルツァーがふらふらしながら教室の扉に手をかけた時からだな」
「つまり最初からじゃないですか……」
「気配がまったくありませんでしたね」
 オーレリアは教本を持ったままのクロウを見た後、ちらりと時計を確認する。
「歴史学は問題ないな? アームブラスト。午後の機甲兵教練はオルランドもいるが、私も手伝おう」
「……アンタ、まさかまた生徒達の模擬戦に乱入するつもりじゃねぇよな?」
 オーレリアが駆る金の機甲兵は、ティータ曰く〝あり得ない動きをする〟という。模擬戦の相手となってくれれば、確かに良い訓練にはなるかもしれない。
 どこまでも規格外な人だと思いつつも、リィンは心底、彼女が分校長としてここに居てくれる事を頼もしく感じていた。
「雛鳥達も逞しく成長した。確かに己自身で試したくはあるが……そなたとも一度、手合わせをしてみたいものだ」
「お、俺かよ」
「《蒼の騎神(オルディーネ)》がないのが惜しいが、機甲兵に乗れないわけではないだろう? 貴族連合に居た頃は、人伝にしかそなたの実力を聞いていなかったからな」
 勿論、生身でも望むところだが――。
 オーレリアは、クロウと視線を合わせて目を細めた。鋭い薄紫の瞳が、彼を捉える。
「自分の手で確かめたい、ってか」
「フフ、その通りだ。分校長として、属する者の実力を把握しておきたいのが一番の理由になるが」
 己の剣技を高めるべく、強者に戦いを挑む彼女の事だ。理由という名の建前のすぐ裏に、表には出さない純粋な本音を隠している事もある。一年も共に学院で過ごせば、リィンにもそれくらいは分かる。クロウは何かしらの流派を極めたわけではないが、それが逆にオーレリアの興味を引いているのだろう。
「《黄金の羅刹》……か。ま、機会があったらそん時は宜しく頼むぜ」
 なんだかんだ勘の良いクロウも察したらしい。それ以上は何も言わなかったが、そう返しながら不敵に笑んでいる辺り、満更でもないようだった。
「と、言うワケだ。後は任せとけって」
「クロウ……ありがとう。分校長も、お忙しいのにすみません」
「気にするな。――寮までは歩けるか、シュバルツァー。厳しいようなら、私がそなたの部屋まで担いで運んでも構わないが」
「え……い、いえ、歩けますしそれはさすがに遠慮――」
「ふむ。担がれるのが嫌なら、横抱きという選択肢も用意しよう」
 揶揄うような表情で、オーレリアはそう言いながら空いていた手を差し出した。
 リィンは目眩を覚える。それは体調のせいではない。もしそうなってしまった場合の、己の中で崩れ去るものの大きさが、はっきりと認識出来たからだった。
「えっと……あの、そういう問題じゃなくて……」
「……という冗談には付き合えるようだな。明日には治るだろう」
「……分校長……」
 なんとなく見遣ったクロウは、何故か壁の方を向いている。アッシュは机に伏せていた。
二人に共通しているのは、僅かに体を震わせているという事だ。
 過ぎった光景が同じなのだろうと気付いて、リィンは重い息を吐く。早くそれを頭の中から追い出してくれ、などと言う気力はなかったが。
「普段の授業に加えて、提出レポートの採点もある。今日は早く寝る事だ」
「教官、お大事にしてください」
 クルトの声を背に受け、リィンは短く応じてから教室を出た。

 ◆

 完全に、ではなく、浅い眠りが続いていた。深い睡眠に落ちる事を心のどこかで恐れているのか、微かに拒む何かが潜んでいるのを、リィンは薄らと感じていた。
 その正体を考えても分からない。思い当たるものがない。
ただ、手を伸ばしても、その分それは離れていく。何なのかはっきりと認識する事を、無意識に拒絶するかのように。
 そうして揺蕩うような感覚の中に居続けて、何時間が経過したのだろう。カーテンは閉めていない。窓から差し込む光の中、リィンは控えめなノックの音を確かに聞いた。
 鮮明にならない視界。空いてるぞ、とどうにか彼が返答すると、開かれた扉の合間からアルティナが顔を出す。
「リィン教官、体調はどうですか?」
 彼女は何かを抱えたまま、心配そうにリィンを見つめた。
ベッドから体を起こして、彼は額に乗せていたタオルを摘んで見せる。
「おかげさまでこの通りだ。明日は問題ないと思う」
「良かったです。ただでさえ、あなたは無茶をしますから」
「うっ……返す言葉もない」
 歩み寄ってきたアルティナは、兎の印が付いた小さなランチボックスをリィンに差し出した。外側からでは、中身が何なのか判断出来ない。
「これは……?」
「りんごのコンポートです。ユウナさんと、サンディさんに教わって作りました」
 何かを持って行きたい、と二人に相談したところ、これを勧められたという。
 受け取って蓋を取ると、コンポートの端に一つだけうさぎりんごが入っていた。アルティナらしいな、と自然に表情が緩むのが、彼は自分でも分かった。
「いつも気遣ってくれてありがとうな、アルティナ。薬を飲む為に何か食べないといけなかったし、有り難くいただくよ」
「教官のサポートがわたしの役目ですから……と、言いたいのですが……それだけ、ではないようです」
「?」
 自分の胸元を握って、アルティナが目を逸らす。
「……ふらついている教官を見た時、この辺りがひやりとするような感覚がしました。〝あの時〟とは違うと、分かっているのに……氷を分けてもらった時、リンデさんにも逆に心配されてしまいました。わたしもまだまだ、ですね」
「……アルティナ」
 ぼんやりとしている記憶の中から、一つ、欠片を拾い上げた。それが何を指しているのか、すぐにリィンは理解する。けれど、口には出さずに、目を伏せたアルティナの頭をぽん、と軽く叩いた。
 顔を上げた彼女の翠の中で、リィンは穏やかに笑う。
「そんな事はないさ。アルティナはここに来てから、色々な事を識って、感じて、経験して……俺も皆も、君には沢山助けてもらったし、支えてもらった。着実に成長出来ているんだ」
 どこか無機質さを漂わせていたアルティナは、造られた存在でありながらも、感情を芽生えさせて、皆と一緒に歩んできた。
 本来持たないはずの――否、初めから持たされていないはずのそれは、アルティナが学院生活を経て得た、大切な宝物だ。
「だから……〝まだまだ〟先が目指せる、って思えばいいんじゃないか?」
「先、ですか」
「俺が言えた事じゃないけど……自分を信じて真っ直ぐに進めばいい。無意味な経験なんて、一つもないからな」
 ここまで自分が来られて、立つ事が出来たのは、今までに出会い、縁を繋ぎ、積み重なってきた存在があったからだ。
嫌だった事も、腹が立つ事も、悲しかった事も、すべてが今に結び付いている。未熟だと痛感した事だって、前進する為の糧になる。
「……ありがとうございます、リィン教官」
 アルティナは意味を汲み取ってくれたようで、瞳の中に浮かんでいた不安の色は、少しずつ光の裏側へと消えていった。
「俺もまだ道半ばだ。改めて、今年も宜しくな」
 今更交わすのも変か、と思いながらも、リィンは片手を差し出していた。
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 二秒ほど間が空いて、アルティナはリィンの手を握る。幾つかの意味を含めた握手を交わしながら、二人は自然と笑い合っていた。考えていた事は同じらしい。
「そういえば、昨年度を振り返るレポートは書き終えたか?」
「はい。この後ユウナさん、ミュゼさんと一緒に最終確認を行います」
「心配は要らなかったな」
 そのチェックに、リィンは明日から追われる事になる。オーレリアから言われた通り、ちゃんと治さなければいけない。
「それでは、そろそろ行きます。お大事にしてください」
 去り際に彼女は、腕を伸ばして、リィンの頭に数回優しく触れていった。それはあまり多くされた事はないが、つい行ってしまう〝自分の癖〟だ。
 おそらく、アルティナは真似をしているのだろう。これといった根拠はなかったが。
「……」
 ぱたん、と扉が閉められて、再び静寂が戻る。
「……アルティナも、大人になってきたよな……」
 大人というか、お姉さん、と言うべきなのか――。

 その独り言はまるで父親のようだと、リィンにツッコミを入れる者は誰も居なかった。

 ◆

 放課後になっても、空の青が高く感じられる季節になった。
風に乗って花の匂いが運ばれて、青を旅する雲と一緒に、あらゆるものを越えて彼方へと流れて行く。
「教官」
 春風の心地よさに、リィンが小脇に抱えたレポートの重さを忘れかけていると、声が掛けられた。
 彼が振り返ると、立っていたクルトが一度、周囲を見回した。どうやら、誰かを探しているらしい。
「クルト、何かあったのか?」
「アルティナを見ませんでしたか? 少し用があって、探しているのですが……なかなか見付からなくて」
「放課後になってから見ていないな。水泳部の方には……――って」
 言葉を中断して、リィンはクルトの背後、その先に続いている街道を見た。
 小さな銀が、黒と蒼の戦術殻に乗って飛んで行く。五十アージュほど離れてはいたが、見間違えるわけがない。
「また一人で街道に……危ないからなるべく控えてくれ、って言ったのにな」
 外出が禁じられているわけではないが、万が一何かあった際に、対応が遅れる可能性がある。念の為一言申し出てくれと、一度話したはずだ。
 リィンがアルティナを見付けたのだと気が付いたクルトも、そちらを見る。
「前にも同じ事が?」
「一年くらい前だけどな。あの時は特訓をしていたけど、今回も同じなのか違うのか……」
「……」
 内緒にしたい事なのか、申し出るのを躊躇うほどの事なのか。
 腕組みをして唸るリィン。ぐるぐると回り続ける思考は、その様子を見ていたクルトが小さく吹き出した事で、一旦途切れる。
「? どうしたんだ、笑ったりして?」
 そんなに可笑しな事を言っただろうか――考えても、リィンにはその原因が分からなかった。
「す、すみません。心配なら、後を追いますか?」
「そうしよう。アルティナを信じていないわけじゃないが、教官として、放っておくのはどうかとも思うからな。……もしかすると、あそこかもしれない」
 建前のようでも、本音のようでもあった。放っておけない、という感情が沸き上がるのは、〝教官だから〟なのか〝相棒だから〟なのか――彼自身の中でも、はっきりとしていない。
「どこへ向かったか分かるんですか?」
「ああ。こっちだ」
 アルティナは姿を消してしまっていたが、リィンはなんとなく、以前と同じ場所に彼女が居るような気がしていた。
 午後の陽射しが差す街道を、リィンとクルトは小走りで駆け抜けていく。ちらほらと魔獣の姿はあるものの、二人の実力を察しているのか、襲いかかっては来なかった。
 数分後――街道から逸れ、細い道を慎重に進む。草を踏む音が、やけに大きく聞こえていた。
 開けた場所を隠すかのように生えていた、長い草をリィンが掻き分ける。小さな虫が飛び去って、青空の中へと消えていった。
「アルティナ」
 その先ではあの時と同様、アルティナがクラウ=ソラスを伴って、多数の中型魔獣と対峙していた。
「リィン教官に、クルトさん……わたしを追って来たのですか?」
 なんとも言えない表情で、アルティナが振り返った。
 複雑そうに一言零すと、魔獣と睨み合っている状況故に、すぐに正面に向き直る。
「ごめん。前にも言ったけど、決して君の事を――」
「……いえ、ご心配なく。お二人の事は、分かっていますから」
 その声色に、呆れや落胆といったものは一切含まれていなかった。
 アルティナは魔獣を見据えたまま続ける。
「助太刀は無用です。わたしはわたし自身を越えないと、進めませんので」
 リィンもクルトも、そのつもりでいた。心配という気持ちはあったが、彼女なら大丈夫だ、という確かな信頼が、それを上書きしていく。
「分かった」
 二人が一歩下がったのを確認して、アルティナはクラウ=ソラスの前で手を交差させた。
「行きましょう、クラウ=ソラス。トランスフォーム!」
『Κ∴эвиХ』
 閃光と共に、クラウ=ソラスが分身し変形する。飛びかかろうとしていた魔獣が、アルティナから放たれた眩い光に気圧されてその場に留まった。
「シンクロ完了――」
 いつも通り、黒と蒼をその身に纏ったアルティナは、分身して残っていたクラウ=ソラスの前へ手を翳す。見慣れない、というより、見た事のない動作だった。
「……?」
 アルカディス・ギアではないのか。リィンが不思議に思っていると、クラウ=ソラスが一振りの剣へと姿を変える。アルティナの細い腕には些か不釣り合いではあったが、馴染んでいるようにも思えた。
「はぁっ!」
 襲いかかってきた魔獣を跳躍するように避け、アルティナは空へと舞い上がる。そのまま傾き始めた太陽を背に受けつつ、彼女は上空から滑空した。
 迫る魔獣の群れ。飛び込んで来ようとするものを、迎撃しようと唸り声を上げる。空気を裂き、両者間のアージュが消失していく。
 適切な間合い、攻撃可能な距離――そう判断したのか、アルティナが手にした大剣を振りかぶった。
「越えてみせます!」
 再び瞬いた光が、鋭い一撃と同時に魔獣達を斬りつける。
巻き起こった衝撃波が収まった時には、その姿は跡形もなく消え去っていた。とん、と地面に降り立つアルティナ。左手に携えていた剣は、彼女が変身を解くと同時に消える。
「……大きな、剣……」
「?」
「ああ、いや……クラウ=ソラスも、ミリアムのアガートラムもすごいな。分身を作れるなんてさ」
 リィンは、無意識にそう呟いていた。
 ――大剣を使う人なら身近に何人も居るというのに、今更何が引っ掛かるのか。
 右手にひやりとしたものが伝った気がして、誤魔化すように軽く振った。
「〝ソラリス・ブリンガー〟……そう名付けてあります。まだ改善する箇所は多いですが、必ず身に付けてみせますので」
「期待してるよ、アルティナ」
「僕も負けないよう、精進しないとな」
 ヴァンダールの奥義習得に向けて鍛錬している最中なのだと、リィンはクルトから聞いていた。数日後には、手合わせの約束もしている。
 生徒達が強くなっていく事が素直に嬉しい反面、自分も気を抜いてはいけないと、リィンは己に言い聞かせていた。
「日が暮れてきたな。今日はこのへんにしておいたらどうだ?」
「そうですね。寮へ帰る前に、糖分を摂取して――……っ!」
 踏み出した先、草に埋もれるように石が落ちているのに気付かず、アルティナは体勢を崩してしまう。
「アルティナ!」
 尻餅をつくように、彼女は草の上に座り込む。リィンが駆け寄ると、アルティナは右足首を摩っていた。
「大丈夫か?」
「不覚です……が、足を挫いただけです、問題ありません」
「無理に動かすのは良くないぞ……そうだ、寮まで俺が背負っていくよ」
 アルティナは困惑したように眉を下げた。
 ――自分の油断が招いた負傷なのに、迷惑をかけたくありません。
 言いたい事を分かっていても、リィンは差し伸べた手を引っ込めようとはしなかった。
「ですが……」
「アルティナ。……こうなった教官が、分かったと言って退くと思うか?」
 クルトがアルティナの肩に手を置きながら、苦笑いを浮かべる。
「……それもそうでしたね」
「分かってくれているのは嬉しいような、複雑なような……」
「それでは、申し訳ないのですが……お願いします」
 リィンが屈んで、アルティナがその広い背に乗る。肩を掴んだのを確認すると、彼は立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。
 背中越しにアルティナの鼓動が伝わる。造られた存在、ホムンクルスであっても与えられているものだ。
「魔獣の気配はないな……今のうちに戻ろう」
 街道の様子を伺う。来る時には襲われなかったが、油断は禁物だ。今の状況を、無防備だと魔獣達に判断される可能性は十分にある。
「ええ。ですが、万が一の時は僕が教官とアルティナを護ります」
「頼もしいな。ありがとう」

      

 誰もいない街道に、三人分の影が伸びる。リーヴスまでは歩いて五分、といったところだろうか。人とすれ違う事もなく、境界線の向こうに沈みゆく静かな夕暮れの道は、どこまでも続いているような感覚を与えてくる。
 リィンとクルトの会話は、自然と途切れていた。周囲を警戒しているのも多少はあったが、アルティナが規則的な寝息を立てている事に気が付いたのが一番の理由だった。
 二人の間に、言葉のやり取りがない事による気まずさはない。
「…………」
「……。まだ負担が大きいんだな、きっと」
 百アージュほど先にリーヴスの街が見えたところで、リィンが小声で言う。
「アルティナも頑張り屋ですね」
「……前は……〝アルカディス・ギア〟の精度を向上させる為に、こっそり一人で特訓していたんだ。無力だった自分を乗り越えて、今度こそ、大切なものを守る為に――そう言っていたよ」
 一番近くに居たのに、何も出来なかった―けれど、後悔ではなく反省をして、活かそうとしている。アルティナの健気な一面は、いつから育まれていたのだろう。
 学院の生徒としての成長だけではなく、彼女が〝アルティナ・オライオン〟という一人の人間として成長していく事も含めて、今後も見守っていきたいとリィンは改めて感じていた。
「……。そうしていると、リィン教官はアルティナの親のようにも見えますね。年齢の事は置いておきますが」
「俺が親か……悪くはないかもな」
 確かに親子というには年齢が近いが、前に別の生徒からも言われた事があった。
 本人には言えないけど、と付け足して、リィンはアルティナを背負い直す。
「そういえば、アッシュが以前教官の事を〝過保護な親か!〟と言っていた時がありましたね」
「過保護な親……アインヘル小要塞を、君達だけで攻略した時か? もう随分と昔の事に感じるな……」
 日が傾き始めた空を見上げながら、リィンが呟いた。
 黄昏が遠くの空を塗り潰して、夜との境界の中で、名前の知らない鳥が鳴く。
「サラ教官の気持ちがよく分かるよ。教え子が成長するのは、本当に嬉しいな」
 君達と一緒に歩いて行けている事も含めて、心底――。
 リィンが続けると、クルトも同意するように笑った。