小夜時雨

※ヴィヴィア水道遺跡は聖剣祭の後に訪れてる? とか相変わらず捏造多め。

 スレイの背を見る事が多くなったのは、いつからだっただろうか。
 憑魔を打ち倒すべく、スレイが儀礼剣を抜刀しようと柄に手を掛ける。その姿は、ミクリオには少し前とどこか違って見えていた。イズチを旅立ってから、まだそんなに時間は経っていない。だが、その間には色々な事がありすぎた。初めて降り立った下界。見たこともない景色。王都レディレイクの佇まい。開催された聖剣祭。仕組まれた暴動。そして、ミクリオにとって幼馴染であり、友人であり、ライバルでもあるスレイは、聖堂で導師として――。
 幼い頃から二人は共にマビノギオ遺跡を探検し、時に言い争いになりながらも、隣に立って育ってきた。互いに、対等だと思っていた。追い抜き追い抜かれこそあれど、人間や天族といった種族の違いなど、気に留めた事すらなかった。
 スレイが走ると同時に、ミクリオも走る。どちらかが転べば、先行した方は引き返して手を差し伸べる。そしてまた並んでは駆け、二人で毎日のように遺跡に眠る古代の浪漫を追い求めていた。
 だというのに――。ミクリオは無意識のうちに拳を作る。今、スレイは数歩前へ行ってしまっている気がしてならなかった。手を伸ばさないと届かなくなってしまいそうで、それがもどかしく、同時にミクリオの中の、スレイに負けたくないという感情が煽られる。
「僕は足手まといになるためについてきたんじゃない!」
 現れた憑魔を前に、下がってくれ、と言ったのが気遣いだと分かっていても、ミクリオは前に立つスレイに向かってそう言う。
「ミクリオ……」
「うぬぼれるなよ。思ってるのか? 自分だけの夢だって」
 何もしないのは嫌だ。ただ居るだけじゃ、意味なんてない。
 いつか空を見ながら語った夢は、二人で追いかけるものじゃなかったのか。一人でどんどん先へ行って、一人で追いかけるつもりなのか。
 もしそのつもりならふざけるな――そうミクリオは言いかけて、寸前で止める。スレイが、偽りも何もない真っ直ぐな瞳を彼に向けたからだ。
「わかったよ!」
 言い切ったミクリオを前に、スレイが頷く。
「オレたちの夢、だ」
 夢を、夢で終わらせない。終わらせるわけにはいかない。必ず二人で、描いた未来を掴み取ろう。
 そう誓い、ミクリオはスレイの隣に立った。

 思えば、夜は長い、という事を彼が実感したのは、下界へ降りてからかもしれない。宿屋のベッドはどうも落ち着かず、何度も睡眠と格闘してはそれに勝ち、目を開けてしまっていた。
 何気なく視線を向けた窓の外には、星が瞬いている。
『前はもっとたくさんの星が輝いていたんだ。……今は、半分ほどだよ』
 別室のアリーシャの言葉を思い返して、スレイは天井へ向けて手を伸ばす。
「半分ほど、か」
 穢れが払われ、世界に光が戻った後の夜空はどれほど美しいものなのだろう。イズチから見る空とはまた違って見えるのだろうか。
 想像して、スレイは見た事のない景色へと思いを馳せる。レイクピロー高原を初めて訪れた時に感じた、“世界”の広大さ。どこまでも続いていそうな平原、断崖を勢いよく流れ落ちる水流、風に揺れる色とりどりの草花の数々。瞳を閉じて風景を思い出しただけで、今すぐに走りに行きたくなるほどだ。
 だが、こんなにも広く綺麗な世界が今、少しづつ衰退の道を辿っている。このままだと、滅んでしまう。人と天族が幸せに暮らす世界――それを実現させる為には、今掴んでいる細い糸を切らさぬように手繰り寄せていくしかない。
 闇を払い、光を齎す手段は自分の手中にある。そう実感して、スレイは伸ばした手をそっと握った。
「導師として、オレがやるべき事……」
 ライラと契約を交わした後、スレイは彼女から言われていた。世界を旅して、色々識って、後悔のない答えを導き出して欲しいと。
 答え。
 その意味を考えかけた時、スレイの耳に入ってきた物音がそれを遮断した。
「?」
 何かが、鉄にぶつかったような音だった。
 体を起こして、窓から外の様子を伺う。暗くてよく見えないが、誰かが窓の下で長い何かを繰り返し振っているのが分かった。
 目を凝らす。次第に暗さに慣れてきたスレイの目は、少し経つと、見慣れた銀がそこに居るのを捉えた。
「ミクリオ?」
 一人で長杖を手に、ミクリオは何度も何度も素振りを繰り返している。
 何をしているのか、と考える必要はなかった。すぐに儀礼剣を携えて、スレイは部屋を静かに出る。

「まだだ、もう一度……!」
 ひゅん、と空気を裂く音と彼の呼吸音だけが、そこにある。同室のスレイに気付かれぬようこっそりと部屋を出たミクリオは、水道遺跡で見付けた長杖を手に、憑魔がそこに居るつもりでそれを振るっていた。
 離れて天響術で攻撃する事は出来ても、接近されると打つ手がない。申し訳程度の打撃では、守られるだけでいつか足を引っ張ってしまう――そこで、長杖に付いている先端部分で斬ったりする事は出来ないかと思考した結果、今に至る。
 夜はまだ長い。もう少しだけやっていこう。
 そうミクリオが考えていると、誰かが宿屋の扉を開く音が聞こえた。
「ミクリオ」
 儀礼剣を携えたスレイが現れたのを見て、ミクリオは一旦長杖を振る手を止める。
「スレイ……起きてたのか」
「なんだか寝れないんだ。……ミクリオは、寝なくていいのか?」
「僕はいい。それより、やりたい事があるんだ」
 長杖を手にそう言うミクリオ。その表情から、スレイはなんとなく、彼がこうしていた理由を察する。
「…………そっか。なら、オレも起こしてくれればよかったのに」
 スレイは笑って、言った。置いて行かれていると思っているなら、それは大きな間違いだ。何年、一緒に居たと思っているのか。互いに互いの表情から何を考えているか読み取るなど、容易い事だった。
 儀礼剣を鞘から引き抜き、スレイはそれを軽く振った。先程まで聞こえていた空気を切る音が、一度鳴る。
「一緒に追いかけるって、決めたじゃないか。“オレたちの夢”を。……だから、オレは一人で先に行ったりなんかしないよ」
 今は遠い、彼方に思い描いた理想郷。まだ見えず、行く手段や作る方法はあってもその道は果てしなく長い。
 人間のスレイと天族のミクリオの二人だからこそ、その夢を追う事が出来る。そこへ繋がる道を、協力し合い、時に競いながら走る事が出来る。
「……スレイ」
「それに、ミクリオが一緒に行くって言ってくれたのが、オレは嬉しかった。天響術は頼りになるし、傷まで治せるんだから」
「僕が居ないと、君は危なっかしいんだよ。みんなをハラハラさせるだろ?」
「……オレ、そこまで危なっかしいことしてる?」
「スレイは自覚してないだけだ」
 そこまで言われるほどかな、と、スレイが苦笑しながら零す。
 だから危なっかしいままなんだと言う代わりに、ミクリオは長杖を構え直した。仮想の憑魔ではなく、目の前の友人――いや、“今”は“好騎手”と言うべきか――に向けた長杖の先端に、スレイの儀礼剣がこつりと合わせられる。
「僕は守られるだけじゃない。後ろで術を使うだけじゃなくて、憑魔のすぐ近くで長杖を剣のように振るえるようになる……それが、今の僕の目標だ」
 互いに得物を跳ね返して、ほんの少し差した月光を頼りに再びぶつけ合う。アリーシャの槍に次ぐ長さの長杖。それを避け儀礼剣を当てながら、スレイは彼から視線を逸らさずにしっかりと見据える。
 水を操り、負った傷を癒すミクリオの天響術。それらを駆使して、きっと前で戦う者を後ろから支えてくれる。そうスレイは思っていたが、本人はそうではなかったようだ。落ち着いているように見えて負けず嫌いな一面があるのは知っていたが、まさか戦闘の時まで張り合ってくるとは。
「じゃあ、前でミクリオに背中を預けて戦える日が来るってこと?」
 静寂に響く、二人ぶんの息遣いと得物が当たる音。
 それに混じったスレイの言葉に、ミクリオは軽く溜め息を吐いて返す。
「勿論。危なっかしい君の背中を預かるのは、一苦労だろうけどね」
 棘があるようでないミクリオの返答に、だったら尚更だよ、とスレイが笑う。そういう言葉は笑ってひらりと回避するスレイのその様子には、まさにノーダメージという単語が相応しいかもしれない。つられてミクリオも僅かに表情を緩めて、儀礼剣とぶつかった長杖に力を籠める。
「青春、ですね……」
 出窓に頬杖をつきながら、微笑ましそうにライラがそんな二人を眺めていた。

2014.05.21