闇の力を授かったのに闇の術技を覚えない料理人、闇鍋を知るの巻

※合同誌〝月刊トントンチキチキ〟寄稿再録。お題:リバース×食材不明な闇鍋を恐れつつ食べる

 好奇心――それは時に新たな道を切り拓く標であり、またある時には身を滅ぼすきっかけとなるものだ。未知が眠る遺跡でそれに従えば、世紀の発見が待ち受けている可能性もある。或いは、良からぬものの前でそれを表へ出せば、隙を突かれてとんでもないことに巻き込まれることもあり得る。
 それでもヒトは、己の内から出てくるそれに抗うことは難しい。自分が興味のあることに関するのならば尚更だ。もはや性と言ってもいい。

 そんなヒトが生み出した、食べる時も楽しめる料理がある。
 その名も、太古よりカレギアに伝わっている(かもしれない)、幻とも称せる料理――〝ヤミナベ。
 正しいレシピがなく、正しい材料も存在しないというその料理が、夢と現実を繋ぐ日が来るとは思いもしなかっただろう。

 導かれし、とある料理人がまたひとり、深淵へと足を踏み入れる。

 ◆

 ティトレイは悩んでいた。それはもう、とてもとても悩んでいた。その姿は、二又に分かれた道の前で、どちらへ進もうかと一晩苦悩する旅人のようだった。
 切り株の上に腰かけて、うんうんと唸ることおおよそ三分。彼の手の中には、ありとあらゆる食材が詰まった籠がある。旅をする中で食事係を担うことの多いティトレイは、ある日、森の中にいた。このまま進めばくまさんに出会える可能性もあったが、カレギアにいるのは可愛らしいくまさんではなくだいたいがバイラスである、という話は置いておき、ティトレイは籠の中の木の実を回しながら今までのことを振り返る。要するに、存在しない〝前回までのあらすじ〟というものである。
 夢のフォルス――ネレグの塔付近の小屋で出会ったトモイという男が持つそれは、一行を謎の理不尽さと不思議さが入り混じった空間へと導いた。彼曰く夢の中だというそこには、気軽に遊ぶには少々重い遊戯が詰まっている。マオが「あそこで思いっきり遊ぶと、夢にグミがたくさん出てくるんだ。なんならミナールから見える海が全部グミになってるヨ」と遠い目をしながら話していたのは少し前のことだった。一方、やみつきにさせる何かを備えていたのも事実。そうでなければ、所用で近くに来たため立ち寄ったところ、また遊んでいかないかと誘われて少しだけ息抜きにこの不思議世界を訪れる、というようなことにはならなかったはずだった。詳しい経緯は割愛するものとする。
『今回は、ちょっと雰囲気が違いますね』
『看板があるわね。……幻の料理をみんなで食べれば終了、ってあるけど』
『いつもみたいに大変そうなのじゃなくてよかった~……』
『ティトレイ。心当たりはあるか?』
『おっ、真っ先におれのことを頼ってくれるんだな』
『適材適所、ということだろう』
 夢の中へと踏み入った一行を待っていたのは何の変哲もない森、やたらと澄んだ清流と、草木が適度に手入れされた空き地の真ん中にぽつんと立つ、真新しい看板の三点セット。そこに書かれていたのは、今回の〝夢〟を抜けるための条件だった。
 ヤミナベ、というものは正直作ったことがないし、聞いたこともなかった。が、そこでマイナスになるような返事をするティトレイではない。名前からして鍋だろうし、もしかしたら近くにヒントがあるかもしれない、という方向で上手く話をまとめたのは一時間ほど前のことだ。
 そうして一旦手分けして周囲を探索することになった数分後、ティトレイは森の中で運命と出会った。ただただ簡素に〝ヤミナベ〟なるもののレシピが記された、一切れの紙が、宝箱からひらりと現れたのだ。記載されていた調理方法は至って簡単、普通の鍋のように食材を煮込むだけだった。一部が滲んでしまっているものの、元には戻せそうにない。その情報だけでもなんとかするしかなさそうだった。
 これで無事に元の世界に帰れるはず、と、即席でフォルス製の籠を作り、さて材料は何なのかとレシピに目を通す。作ったことのない料理に好奇心を抱きながら――書かれていた材料にバクショウダケがあるのを見つけて、表情を引きつらせるまでは。
「おまえ、どうして夢の中で再現されてるんだよ……」
 その後、一応一通りの材料を集めて冒頭へ戻る。書かれている以上、バクショウダケを外したら一生、現実への扉が開かないかもしれない。そんなことになるくらいなら、腹痛になるほど大笑いしてでも出口を見つけるべきだ。そう思っていても、一見おとなしい顔をしたそのキノコにはロクな思い出がないため、重い息を吐きたくなってしまう。
 忘れもしない、あの旅の最中にトヨホウス河で起こったある意味〝悲劇〟とも言える出来事。ヌフフフフだのヒーッヒッヒだのとんでもない笑い声が静寂の森に響き渡ったあの日から、懐かしいと感じられるくらいの月日が流れた、ような気がしていた。止まることのない笑いをこぼしながら敵をぶちのめしていく謎の集団――周辺の森に住む生き物たちの中では、きっと今でも怪奇現象として語り継がれているに違いない。
 笑いが止まらない、というのは端から見れば滑稽な光景だが、本人たちからすれば堪ったものではなかった。涙が出るほどおかしいものが目の前にあるわけでもなく、脇腹などをくすぐられているわけでもない。奥底から引っ張り出される〝笑い〟は、ある意味恐怖に属するものだと表現してもいいレベルだった。
 否、そこに尻込みしている場合ではない。これもカレギアに降りかかる困難を乗り越えるための試練、なのだと思えば、立ち向かう気力はどこからか湧いてくる。それがティトレイという男だった。

 仲間に毒を飲ませるくらいなら自分で飲む。
 それにこれは、夢の中の世界なのだ。現実にいる自分への物理的なダメージはない。心理的なダメージは含めないものとする。

 そう割り切って、ティトレイは切り株から立ち上がる。全員がバクショウダケを口にする必要があった場合は、潔く食べやすい大きさに切る予定だ。盛り付けるとき、少し割合が自分に多くなるようにすれば問題はないはずなのだから。
 籠の中では、摘まれたばかりのバクショウダケがぴょんと揺れた。

 ◆

「うう、バクショウダケ……夢の中にまでついてくるなんて……」
「けど、アニーが見つけてくれたもののおかげで、どうにかなりそうね」
 不幸中の幸い、と言うべきか、拠点へ戻ったティトレイへヒルダが手渡したのは〝毒キノコの効果を相殺する謎キノコ〟と書かれた箱だった。中にはご丁寧に人数分のキノコが入っていたが、これを茂みの中から発見したアニー曰く「見たことがない」そうで、どうするべきか相談していたという。
 料理人として、ここで引き下がるわけにはいかない――抱いたプライドに火がつき、舞い上がる。それはまるで紅蓮天翔のごとく。
「悩んでても仕方ねえ、使ってみようぜ。責任はおれが取る!」
「おまえ一人に押し付ける気はない。……効かなかったら、みんなで笑って戻ればいい」
「ヴェイグ……!」
「そうだな。それも悪くはないだろう」
 ティトレイの背を押す、ザ・主人公とも言える言葉。後半を外せば、物語の重要な場面で用いられそうなものである。もはや夢の中の遊戯の一つである、という前提が揺らぎそうになっているものの、そうツッコミを入れるものはいない。仲間に心を開いたヴェイグの言葉に、水を差すような人物はここにはいないのだ。
 拾ったレシピを煮込むことしか分からない調理手順。不自然に滲んだ箇所の空白を踏まえつつ、ティトレイは自身の知識を活用して調理を行った。下処理も、皮むきも、彼の手にかかればぱぱっと終わってしまう。見慣れた食材ばかりで、この空間特有の何かにいたずらさえされなければ、ちゃんとした鍋が完成する、はずだった。

 数分後――ぼん! という、軽快さと地獄の口が開いた音の真ん中あたりの効果音と一緒にできあがったのは、彼の丁寧な調理からは想像もつかないほど不気味な塊が詰まった鍋だった。
 幸い、嫌な臭いはない。それどころか香ばしいものが周囲を漂っていた。だからこそ、どこをどう間違えたのか、ティトレイには想像ができない。穴抜けレシピを差し出しておいて、作り方を間違えたから謎パワーで黒くされた、ということなのか。
「理不尽だ……」
 推測に対してがっくりとうなだれるも、作り直せる余裕はない。ひとまずこれで食べてみるしかなさそうだ。少し味見をした時は、まだまともな色をしていたというのに。
 小さいスプーンで一口掬って食べてみると、なんとも形容しがたい味が口の中を一瞬で満たす。初めて食べるものだからそう感じるのだろうか。
「いい匂い! ティトレイ、でき……って、ナニこれー!? 真っ黒だヨ!」
「おれにも分かんねえんだ」
「これがヤミナベ……? 変わった料理だから幻なのかな」
「まあ、見た目はまさに〝闇〟なんだけどよ……」
 おれがイーフォンから授かったの、闇の力だし――とは続けなかった。今もどこかで見ていて、いつか怒られるかもしれない。イーフォンの後ろ蹴りは痛すぎるのだ。
 マオに手伝ってもらって、慎重に人数分を取り分け、これまた慎重に運ぶ。漆黒を目にした面々は、戸惑ったり疑問を投げかけたりはしたものの、拒むような言葉は発しなかった。誰も正しい〝ヤミナベ〟を見たことがないからこそ、ユリスが顕現できそうなほどのこの世すべての負を全力で煮詰めたような色彩を宿す食べ物を前にしても「こういうものなのかもしれない」と思い込むことで、ティトレイは調理に失敗したわけではないのだと判断している、のかもしれない。それでも、最初の一口に勇気が要ることには違いなかった。
 こぽこぽ、と邪悪なグラタンのような雰囲気を醸し出す〝ヤミナベ〟の一部が乗った皿を最初に持ち上げたのは、意外にもヴェイグだった。
「なんだヴェイグ、腹減ってたのか?」
「さっき、向こうでバイラスと少し戦った。……今なら何を食べても大丈夫な気がする」
 世を徘徊するものたちとの戦いが絶えない物語において、体力が減れば、体が料理を欲するのは必然。世界に刻まれた法則と言ってもいいものだ。カレギアではわりと高価なグミが主な回復手段の一つだが、今は置いておく。
 仲間が見守る中、ヤミナベをヴェイグは静かに食べ始める。誰がどう見てもとんでもない味であると想像できる外見をしているのに、彼は黙々と皿の上の漆黒を減らしてゆく。
 横で見守っていたアニーが、おそるおそる覗き込んだ。
「ヴェイグさん、無理はしないでくださいね。食べ物がもったいなくても、それで体調を崩したら……」
「いや、無理はしていない。見た目は……その、なんとも言えない色をしているが」
「それが味に反映されていたら、食べられたものじゃないわね」
「ティトレイ、ボクも食べてみてもいい?」
「おう、遠慮すんなって!」
「マオ。夢の中とはいえ、食べすぎには気をつけるんだぞ」
「はーい。それじゃさっそく、もぐもぐ……わ、ヴェイグの言う通りだ。色はちょっとヘンだけど、ちょっと甘くて、からく、て、それから……しょっぱ……い…………えっへへ」
「マ、マオーッ!!」
「オレにとっては甘いだけだったが……それに、ピーチパイに近い味がする」
「あんた、それはそれで心配になるんだけど……」
 絵に描いたように目を回すマオは、ユージーンにすぐ支えられる。
 見た通りの〝混沌〟を完食したヴェイグは、どこにも異常が見られなかった。ただ、バクショウダケの効果は相殺されたのか、ヴェイグもマオも笑い出す気配はない。
 夢の中だからか否か、ヴェイグが謎の耐性を得ている理由は誰にも分からなかった(森で遭遇したバイラスから付与された微弱な麻痺が変な形で残っていたと後に判明するが、この時点では〝ヴェイグは実は味覚音痴だった説〟が一行の中に浮上しており、彼に新たな称号が与えられる寸前であった)。

 なお、ティトレイが姉のセレーナから〝ヤミナベ〟の真相を教えてもらうことになるのは、半数が腹痛と戦いながらこの夢を抜け、すべての戦いが終わったあとのことだった。
 それを聞きつけたマオが仲間を集め、今度こそ安全なはずの真・闇鍋大会を開催しようとするのは――また別の話。

※闇鍋をやる際は、ダークマターを生成しないようご注意ください。

FIN