0-3 災厄の中の希望を求めて・前

 氷と焔、それぞれを帯びた二つの頭を持つ竜が周囲の気候を乱す。極寒と灼熱が短い間に繰り返され、近くの町は異常気象に見舞われている。
 降り注ぎ続ける雷が、栄えていた地を容赦なく焼いていく。その地に生きる命も何もかもを奪わんとする勢いで。
 跡形もなく、大地ごと消し去ってしまう光の柱が突然降り注ぐ。逃げる時間すら与えられず、飲み込まれたら最後、そこにはもう何も残らない。
 長閑な港町を襲った、巨大な水の牢。出ようとしても弾き返されてしまい、徐々に内部の空気が減っていく。運よく出られたとしても、寄せ付けられた魔物に襲われてしまうという。

 人智を超えた〝何か〟に、人々は抗う術を持たない。抗っても敵わないのだ。

 ――若き王が国を導くことになったのは、世界各地をそのような謎の災厄が襲っている年だった。

 ◆

――W.T.3038

 王城の中を、忙しなく騎士たちが駆け回っている。遠征から戻ってきた面々との情報共有や物資の補給など、災厄に備えてやらなければならないことは山積みだった。
 そんな中アルファルドは、騎士団員との話を終えて、一旦自室へと戻っていた。今日は珍しく夜に会談の予定が入っていなかったが、のんびりと休む時間ははない。
 机の上に積んである、各地から送られてきた報告書。その中から一つを手に取って椅子に腰かけつつ、重い息を吐きそうになる。
「何か手段はないのか……今までの法則通りだと、あと四日後には、また……」
 ヴァスタリアを突如襲うようになった、謎の災厄。主に四つあるそれらは、どれも力で解決できるようなものではなく、学者によって算出された地域から、人々に避難するよう勧告することしかできていないのが現状だった。
 北方の地域を襲う氷と焔の竜のもとへ、近くの町から戦士団が討伐に向かったこともあったが、誰一人として帰還することはなかった。光の柱で小さな村一つが消えてしまったこともあり、放置することはできないものの、解決する手段が見つけられていない。
『アルファルド……お前の信じる世界を、拓いていけ。その剣で』
 息を引き取る寸前に、告げられた言葉が反響する。父上ならばどうしただろう――と、アルファルドの胸中に問いかけが浮かんだその時、部屋の扉が控えめに叩かれた。
 聞き慣れた声が続いて、すぐに返事を返す。
「王、報告がございます」
 部屋に入ってきたのは、壮年の男性だった。騎士団を率いる団長である彼は、一枚の紙を持っている。
「エイジスか。何かあったのか?」
「先日、西大陸のノティアを襲った水牢の件ですが。逃げ遅れた子どもが、牢を消滅させた人間を見たとのことです。ラネットを通じて連絡が入りました」
 そう言いながら、エイジスはアルファルドにそれを手渡す。どうやら、幼い子どもが描いた絵のようだ。人が描かれているのは分かったものの、それ以外は想像力を鍛えられるようなものがいっぱいに描かれている。
「牢を消滅させた……?」
「ええ。元凶か、或いは……ちなみに、子どもはその者に助けられたと言っているそうです」
「災厄を引き起こした存在なら、子どもを助けて牢を消滅させたりはしないだろう。敢えて、の可能性は捨てきれないが……」
 絵に描かれているのは、子どもを助けた人物のようだ。白基調の外套に、手にしているのは長い杖のようなものだろうか。街の騎士と明らかに異なることは分かる。
「どんなに小さなものでも、情報は助かるな。ラネットには俺からも礼を言っておく。……引き続き、調査を頼む。十分注意してくれ」
「承知しました」
 エイジスが踵を返し、騎士団の詰所へと向かうのを見送ってから、アルファルドは机の引き出しを開ける。
「やっぱり自然に災害がおさまっているわけじゃない、ということか……」
 人間の持つ武器ではどうにもならなかった災厄。魔法が存在しているとはいえ、水の牢を消すほどの威力を持つそれを放てる者は存在しない――少なくとも、アルファルドの知る限りでは。今のヴァスタリアにある〝魔法〟は料理に活用したり、物を乾かしたりと、生活の一部にさりげなく活かせる程度のものだからだ。
 エイジスからの報告にもあった、明らかに自然の現象ではない水の牢。この災厄に対して、アルファルドが〝自然とは異なる何か〟の干渉を疑っている理由の一つでもあった。それらが突然消えてなくなることも含めて、人の常識の範疇を超えた大きなものが動いている――そんな気がしてならなかったのだ。
『隣の村を消したっていう光が上から降ってきて、もう終わりだって思ったんですよ! でも、いつまで経っても光は落ちてこなくて。目を開けたら、暗闇の中にそれが吸い込まれていたのですが……あれ、何だったんでしょう? 幻覚?』
『不思議なお客様が、数日前にいらっしゃいましたね。二十代半ばくらいの男性でした。村の周辺には魔物が出るのに、武器らしきものを何も持っていなかったので印象に残っていますよ。その日の晩、落雷が降り注ぐ数時間前に〝ここから逃げたほうがいい〟と言われたのもありますが』
『水の牢から逃げ遅れてしまったウチの主人を、どなたかが助けてくれたんです! お姿は見えませんでしたが、魔法使いだったのでしょうか? あんなに大きな炎の球は初めて見ました』
 同時に、考えていることがあった。自然とはまた異なる何かが干渉しているのならば、それに対抗できる手段を持つものがいるのではないか、ということだ。
 報告書の中には、時折気になるものが混じっていた。目の前で防がれた災厄、それの襲来を告げた謎の人物。逃げ遅れた民を救ってくれた魔法使い――このような嘘を報告する者などいないだろう。何の得もないのだから。
「……」
 引き出しから取り出した、見慣れない文字で書かれた本。城下町に住む考古学者と協力してどうにか読み解いた、この世界の伝承を記した貴重な書物だ。
 王として、軽率な判断はできず、行動することも避けたい。それは自分でも、よく分かっていた。
 それでも、この状況を打破する鍵となるのなら、今の地点で立ち止まっているよりずっといいはずだと、アルファルドは思っている。
「果ての森までは、飛竜を駆れば半日……ただ、そこから〝浮遊大陸〟まで、どんな手段で渡れるのか。さすがに三日もかかるようなことはない、と思いたいが」
 災厄に襲われるようになってから、アルファルドはすぐに、膨大な城の書庫を調べた。過去に同じようなことがなかったか、どんなに小さな手がかりでもいいから見つけられないかと、側近の手も借りつつ、五日かけてすべての本を確認した。
 すると、本棚の奥に隠すようにして置かれていたとある本には、このような記述があった。
『おぞましい神が現れた。天変地異だ、世界が終わる。誰もがそう思った――しかし、それは訪れなかった。神の地〝浮遊大陸〟から遣わされたものが、破壊の波を食い止めたのだ』
『女神フェリシアと、名もなき二人の使徒。女神は告げた。これからはヴァスタリアを〝守り人たち〟が守護することになると』
『残った使徒、守り人は、我々にこう伝えた。先の戦いで浮遊大陸へ繋がる塔は、果ての森の奥深くへと飛ばされた。この先、祭儀で塔を訪問することは困難になるだろう。代わりに異なるものを――』
 ほかの文面からするに、おそらく、数千年前のヴァスタリア王家が遺したものと思われる手記。
 幼少期から、王族として求められる以上に勉学に励んできたアルファルドは、忙しない日々の合間にその本を自力で解読した。考古学者から借りた本と照らし合わせると、そこには、各地に伝わる〝守り人〟の伝承が、より詳しく記されていたのだ。
 それが事実だという証拠はなく、ただのお伽噺で終わってしまうかもしれない。それでもアルファルドは、隙を見て浮遊大陸を訪れるべきだと考えていた。行くための方法と、そこへ繋がっているという〝虹の塔〟を呼ぶのに必要だという呪文も読み解いており、あとは時間を確保するだけだった。
 エイジスから水の牢の話を聞いて、仮説はより現実に近付いたと心の奥底で感じていた。
「何にせよ、時間がない。行くなら説得しないと――」
「誰を説得するおつもりですか、王」
 少し開きかけていた扉越しに声がした。
 アルファルドは苦笑いを浮かべつつ、そちらへと向かう。
「俺のことをこの城で一番よく知っている、頼りになる側近のことだよ」
 扉の先では、一人の老人が穏やかに笑っていた。
 赤子の頃から面倒を見てくれていた側近、カーロは、アルファルドの言葉を受け取りつつ、静かに部屋へと入る。
「カーロ。このタイミングで来たということは、俺の言いたいことは分かっているんだろう?」
「必ず戻るから、数日城を空けてもいいか――でしょうか?」
「話が早くて助かる。ただ、一文字も間違ってないんだが、もう少し追加したい」
 さすがに止められてしまうだろうか、という感情がよぎり、アルファルドは一度言葉を飲み込む。
 が、すぐに、ここで彼に自分の考えをはっきり告げないでどうするのだと思い直して、カーロへ向かって一歩踏み出した。
「災厄を完全に止めるために、浮遊大陸にいるという〝守り人〟に会いに行ってくる」
 余分なところは削ぎ落して、言いたいことを正直に纏める。偽ることも飾ることも不得意であるがゆえに、嘘を吐くことがどうしてもできなかった。仮に吐いたとしても、付き合いの長いカーロにはすぐに見破られてしまうだろう。
 そんなアルファルドの言葉を受けたカーロは、小さく笑った。
「王がいつかそう言う時が来る、と思っていましたよ」
 時に厳しく、時に優しく、アルファルドを見守ってくれていたカーロ。その彼から返ってくるであろう言葉の候補はいくつか出ていたが、それはどれにも当てはまらない。
 予想していなかった返事に、アルファルドは少し目を丸くする。
「……笑わないんだな? それに、正直、引き止められると思った」
「確かに〝守り人〟は伝承の中で語られている者です。が、架空の存在とも言い切れないでしょう。それに、この災厄……どう見ても自然の現象ではありません」
 窓の外に広がる王都の景色。カーロはその前に立って、アルファルドへと向き直った。
「私は王のことを信頼しております。貴方が築き上げてきたものを、疑うようなことはしません……危険が伴う以上、引き止めたい気持ちはもちろんございます。ですが、それは貴方を信頼しないことにもなる」
「カーロ……」
「私は幼少期から貴方を見てきました。約束を必ず守る、未来の強き王の姿を」
 側近としての感情と、ただのカーロとしての感情。その二つを併せ持ったうえで、彼はあのように返事をしてくれた。それを無駄にはできないと、アルファルドは改めて、決意を固める。
「……伝承では、〝守り人〟は、このヴァスタリアをたった一人で守護しているらしい。だが、それだけでは駄目だと俺は思う。王として、秩序を任せっきりにはできない。神に近い存在なのだとは思うが……それでも、本当に存在しているのなら、手を取り合って共に進みたい」
 夢物語だと笑う者もきっといるだろう。実際にいるか分からない、お伽噺の中の存在相手に何を言っているんだ、と口にする者も、おそらく少なくはない。それを分かっていても、未知へと踏み出す覚悟をしたアルファルドの言葉に、嘘偽りはなかった。
「ただし、一つ条件を。結果がどうあれ、三日後の最初の黎昏刻が過ぎたら、そちらを使って城へお戻りください」
「最初からそのつもりだ。戻らない、なんてことには絶対にしないが」
 貴重品として出回っている、転移の羽。カーロから手渡されたそれを受け取り、アルファルドは外套を掴んで、自室の扉に手をかける。
「ありがとう、カーロ。行ってくる! 必ず、見つけてくるから」
 叶えなかった約束は一つもない。己の剣で、どんな道でも切り拓いてきたのだ。
 頷いた側近の姿を見て、アルファルドは駆け出した。

 ◆

 リューラ、という名の蒼の飛竜は、アルファルドとは子どもの頃から親しくしていた。
 国王専属の飛竜として育てられていたものの、どこか能天気な性格でもある。今日も、友人とどこかへ出かけるような感覚でいるのだろう。半日近く飛びっぱなしでも、疲れている様子はなく、むしろ楽しそうだった。
 機嫌よく鳴きながら、アルファルドを乗せたリューラは、かすかに雪が舞う灰色の空を飛んでいく。歌っているようにも聞こえる鳴き声は、出会った頃からずっと変わっていない。
「直接飛んでいけたら楽なんだが……それだったら、もっと早く謎は解けている、か」
 アルファルドは斜め上を見る。王都から離れても、浮遊大陸はまだ見えていた。
 かの地へ過去に飛竜で向かおうとした者はいたようだが、少し手前で上昇を拒んでしまい、どうやっても辿り着くことができなかったという。
「あの大陸には何があるんだ……遺跡と山のようなものしか見えないが、ほかにも……?」
 望遠器具を用いて観察しても、どういった造りになっているのかをはっきりと判別することはできそうになかった。
 学者の間では、遠い昔に地上から切り離された地なのではないか、との説も出ていたが、地上に真実を知るものはいないのだろう、と、アルファルドは思っている。
「果ての森、紺碧の岩から黎昏刻の陽が差す方角……」
 浮遊大陸へと入ることができる地。古書から読み解いたそれは、人跡未踏、と言ってもいいくらいの樹海である、東大陸最東端の〝果ての森〟を示していた。
 立ち入れば魔力が混じった霧に包まれて永遠に出られなくなると言われており、実際に行方不明者も出ていることから、進んで踏み入って調査をする者はいなかった場所。飛竜を用いて空から入っても、結局迷ってしまうという話もある。光の力を持つ魔物が、来訪者を惑わせて疲弊させ、弱ったところを襲って住処に連れ帰ってしまう――という噂もあるくらいだった。
 上空から目を凝らして、古書が示した場所を探す。迷ってしまう、ということだけはなんとしても避けなければならなかった。
 気温も徐々に下がる中、アルファルドは樹海を見続ける。
 リューラに指示を出しながらしばらく飛んでいくと、奇妙なものが前方に見えた。
「虹の霧が覆う崖――あそこか!」
 あんなに不思議な場所があったのかと、アルファルドは思わず目を擦る。
 森の端にある切り立った崖だけが、綺麗に虹色の霧に包まれていた。揺らぎながら色を変えていくその場所は、この世界から切り離されているようにすら感じられた。
 アルファルドの言葉を聞いて向かうべきだと判断したのか、リューラは真っ直ぐにその崖を目指す。
 障害物などが現れることはなく、数分後、空から崖の下へと降り立った。
「絶壁のふもと、白い岩に彫られた、古の言葉。本に書かれていたことは、本当だったんだな……」
 淡く光る白い岩が、静かに佇んでいる。古代語の文章が刻まれている中に、不自然に空白があるそれもまた、古書に記載されていたものの一つだった。
 横にいたリューラは不思議そうに小首を傾げて、真似をしているのか、同じように覗き込む。
「リューラ、ありがとう。ここまでで大丈夫だ」
 雪が降っているから気をつけるんだぞ、と添える。アルファルドに撫でられて嬉しそうに鳴いたリューラはそのまま飛び去るかと思ったが、翼を広げることはなく、じっと石碑を見つめている。
「? どうしたんだ、心配しなくても俺は大丈夫だから」
「……」
 人の言葉を理解できる飛竜は、指示を聞かなかったことは一度もなかった。
 黙ったままのリューラ。森林を閉じ込めたような翠の瞳は、アルファルドへと向けられる。
「まさかとは思うが……俺を残して、帰りたくないのか?」
 正解とでも言うかのように、リューラは美しい声で鳴いた。
「おまえ、そういえば頑固なところがあったよな……よし、分かった。一緒に行こう」
「クルルゥ」
 こうなってしまったら、残していくわけにもいかない。友人同然でもあるリューラに対して、そうする選択肢を選べるはずがない。
 アルファルドは屈んで、持参した手帳を広げた。貴重な書物は持ち出したくなかったため、書き写してきた〝言葉〟を、短刀を使って岩へと彫る。これで何も起こらなければ、速やかに離脱するしかない。濃くなりつつある霧に、いつ飲み込まれるか分からないからだ。
 最後の一文字を彫り、アルファルドは一歩ぶん距離を置く。
 すると、地面が大きく揺れ始めた。
「!」
 岩から光の粒子が舞い上がり、空へと吸い込まれていく。支えようとしたのか、アルファルドに寄り添ったリューラもそれを見上げていた。
 宙を漂う古代の文字が螺旋を描き、虹色の光と共に収束する。
 少しづつ目の前で形成されていった〝それ〟は、紛れもなく――。
「塔……? ということは、この先が……」
 七色の光に覆われた、半透明の塔が天まで伸びている。一番上は雲に埋もれて見えなかったが、浮遊大陸へと繋がっているのだろうか。
 場所自体はかなり離れているが、本当に渡れるのなら、何らかの手段があるのだろう。
 ゆっくりと一歩踏み出す。階段は消えることなく、アルファルドが足を乗せた瞬間、実体となって小さく音を鳴らした。
 拒まれていることはなさそうだ、と思った直後、雪がついた外套を強く引っ張られる。
「リューラ……こういうのは一歩ずつ上っていくものなんだが。でも、今はのんびりしていられないからな……頼めるか?」
「ルゥ~」
 飛竜は大きく羽ばたいた。

 ◆

 塔の最上階には、薄明を切り取ったような色彩の渦があった。
 リューラは何の躊躇いもなくそこへ飛び込み、眼前を光が覆う。その次の瞬間には、アルファルドたちは遺跡のような場所の前に立っていた。
「……ここは、本当に同じ世界なのか?」
 見上げても先が見えないほどの壁には、古代の文字が刻まれている。それが浸っている湖を覗くと、水の中には建物があった。蔦が伸び、当然人が住んでいないそこのあいだを、虹色の鱗をまとった魚が群れとなって泳いでいく。文字が刻まれた壁の後ろを覗き込むと、宙に浮かぶ回廊のような場所があり、その下には雲海が広がっていた。
 アルファルドは足元を見る。そこには白い花に混じって、半透明の花や、雲が流れる青空を切り取ったような花弁をもつ花が咲いていた。どれも地上では見たことがないものだ。
 違う世界に来てしまったのではないか、とすら思える風景。しばらく近くの景色に見入っていると、リューラが遺跡の奥を見ながら低く唸り始める。
「ルルルゥ……」
「リューラ、どうしたんだ? 何か見つけたなら俺に――」
 少し離れた場所にある、遺跡の入り口と思われる洞穴の中から響く、人の足音。それはすぐにアルファルドにも聞こえた。誰かがこちらへ向かっている、と分かり、リューラを落ち着かせながら洞穴を見る。
 ――話ができる存在なのだろうか。言葉は通じるのか? ひょっとすると、地上にいるような人間ではない存在かもしれない。
 謎に包まれており、そこを舞台とした空想の物語はいくつも描かれてきたものの、誰も真実を知らない浮遊大陸。守り人以外に人が住んでいるのか、生き物は存在しているのかすらも判明していなかった。
『人がいつか、浮遊大陸に辿り着く日が来るんでしょうか。伝承は伝承のままのほうがいい、という声もありますが……夢と浪漫はありますよね。だから人は、追い求めてしまうのかもしれません』
 アルファルドがかつて学者と話していたことを回想していると、こつ、という足音が止まる。
「オレの勘違いじゃなかったのか……」
 洞穴から現れたのは、白い外套が印象的な、一人の青年だった。見た目の年齢はアルファルドとそう変わらなさそうに見えるその青年は、一人と一匹を見て、驚いたような表情を浮かべている。まさか人が来るとは、とでも言いたげなものだった。その反応からするに、ここの民か何かなのだろうか。
 どこかで見たことがあるような青年に、アルファルドもなんと声をかけるべきか迷い、数秒の沈黙が下りる。リューラが警戒していることに気がついたのか、その青年はアルファルドたちには近付かずにその場で止まった。
「警戒しなくていい。君たちに何かするつもりはないよ」
「ルゥ……」
「……。なるほど、やっぱり地上から来たのか。果ての森は飛竜の君には厳しかっただろうに、よくここまで」
 彼の言葉に、リューラは唸るのをやめる。人間の本質を見抜く力がある、と言われている飛竜が大人しくなったということは、言葉通り、害を加えることはないのだろう。
 そう感じたアルファルドは、リューラの前に進み出て、青年に声をかけることにした。
「その……リューラと会話をしている、のか?」
「会話……。そうだな、会話と言えるかもしれない。その子は初めて見る綺麗な場所に、友だちの君と来られて嬉しいみたいだ」
「そうなのか! リューラ、おまえのおかげだぞ。帰ったら美味いご飯を作ってやるからな」
「ル~」
 褒められて嬉しいのか、リューラは機嫌が良さそうだった。蒼い鱗が柔らかな光を反射して、機嫌の良さを表しているようにも見えた。
 青年はそんなリューラを見ていたが、アルファルドのほうに向き直り、不思議そうな表情を浮かべる。
「ところで……君たちは、なぜここへ? 偶然迷い込むような場所ではないはずなんだが、何かを調査しに来たのか?」
 その問いかけは当たり前のものだった。訝しげ、という雰囲気ではないものの、青年はアルファルドたちが目的を持って浮遊大陸を訪れたことには気づいているようだ。
「っと、そうだった。……俺は、ある存在を探してここへ来た。人が安易に立ち入る地ではない、ということは承知のうえだ」
 青年の深い、海原のような瞳は穏やかだ。探るようなものではなかった。
「不躾な頼みになってしまうのだが――〝守り人〟がいる場所へ、案内してもらえないだろうか?」
「……!」
「地上を未知の災厄が襲っている。手は尽くしたが、俺たち人間の力だけではどうにもできないのが現状……伝承が真実なら、ここに世界を守っているという〝守り人〟がいるはず。なんとか話ができないかと思い、俺はここへ来たんだ」
 ここで断られてしまうなり、そんな存在はいない、となってしまったら、その時はその時でまた別の方法を探そう、とアルファルドは考えていた。ここに手がかりが何もない、ということは考え難いからだ。
 ただ、その時、この青年が手を貸してくれるかは分からない。今のところ敵意はなさそうに見えるものの、平穏そうなこの地に厄介ごとを持ち込んだ、と判断される可能性はなくはない。
 万が一のことがあったら、柔軟に対応しなければ――。
 リューラも場の空気を察したのか、どこか緊張した様子で青年を見ている。
「そうか、貴方は……。自ら乗り込んでくるなんてな……ヴァスタリアの未来は明るそうだ」
 が、青年は何かに気づいたような様子で、張り詰めそうになっていた空気をそっと溶かす。
「? 今、何て――」
 こちらを知っているような言葉。アルファルドが内心で首を傾げそうになっていると、彼は携えていたロッドをしまった。
 そこでようやく、アルファルドは思い出す。
 ノティアで水牢から誰かに助けられた、という子どもが絵に描いていた人物と、目の前の青年の特徴が一致するということに。

「浮遊大陸へようこそ、アルファルド王。貴方が探している〝守り人〟として、話を聞くよ」

 そう言って一礼した青年は、微かに笑った。