七章【へし折るためにフラグはある】

 黄昏――つまり日が暮れる時間が怖く感じる、と、アルティナが口にした事がある。情報局のエージェントとして任務を遂行してきた彼女が、夕暮れを怖いと言うのは少し意外だった。これも、感情が芽生えてきたが故のものなのだろうか。
 日によって異なる色彩を見せる空。共通しているのは、すべて暗い夜に繋がっているという事。
 世界を飲み込んでしまいそうな色は時々、美しくありながらも、底知れぬ恐ろしさを醸し出している。
「今も、夕暮れが怖いって思うか?」
 忘れ物を取りに引き返したリィンは、オーレリアに課題を提出したばかりのアルティナと鉢合わせた。これから帰るという彼女も、リィンが教室に行くのに付き合うと言い、二人並んでⅦ組の教室に向かっている。
 窓の外は、昼と夜の境界の色で覆われていた。そこでリィンは、かつてアルティナが言っていた事を思い出して、問いかけてみる。
「……そのような事を、お話しした時もありましたね」
 二人分の足音が一人分になる。アルティナが立ち止まったからだ。
「空の色によります」
「と、いうと……怖くない日もある、って事か」
 怖い色とはどんな色だろう――そう考えかけて、リィンはアルティナの背後にある窓の向こう側を見た。
 鮮血にも似た、深い緋色が広がっている。どこかで見たような気もしたが、はっきりとは思い出せない。
 一体どこだっただろう。記憶を掘り起こしながら歩いていると、気が付けば教室の目の前まで来ていた。
「……」
 静かに扉を開く。椅子に腰掛けて、空を見つめている後ろ姿が目に入った。
「クロウ?」
 誰か居るのは気配で分かっていたが、誰かまでは判別出来なかった。
 既視感を覚えながら、リィンは彼の名前を呼ぶ。流れる時間に差があるわけでもないのに、クロウは五秒ほど経ってから、ゆっくりと振り向いた。
「ん……おう、リィンにアルティナか。残ってたのかよ?」
「忘れ物があってさ。それより……クロウの方こそ、どうしたんだ、ぼーっとして」
「考え事、ってヤツだ。気にすんな」
 吹き込む風に銀髪を揺らして、クロウは空へ視線を戻す。――見覚えがあった。夕暮れの中で、何を想い、何を見つめているのか分からなくさせるように、教室の中に佇んでいた姿を見たのは、初めてではなかった。
「……クロウ。せっかくだし、寮に戻ったらブレードでもしないか? アルティナも一緒にさ」
 懐からカードケースを取り出して、手渡す。クロウは懐かしむように目を細めて、使い込まれたそれを眺めた。
「ブレード? まだ持ってたのかよ、これ」
「当たり前だろ」
「何度か遊びました。こちらも、ヴァンテージマスターズとはまた違った戦略性があって面白いですね」
「ま、運に左右される部分はそっちより強いからな」
 あんなに思い出が詰まった品を、捨てるはずがない。分校へ来てからも、ヴァンテージマスターズをやる合間に、こっそりとスタークやアルティナ相手にブレードをしていた。
 パンタグリュエルでのクロウとの戦いの後、いつの間にか懐に突っ込まれていたブレード。よくあの戦いの中で入れたものだ、と思ったのは一度ではなかった。
 上等、と微かに笑って、クロウが立ち上がる。
「そなた達、まだ居たのか」
 開いたままの扉から、オーレリアが顔を出したのはほぼ同時だった。施錠の時間はもう少し先だったが、見回りでもしていたのだろうか。
「ええ、これから寮へ戻ろうと……」
「…………」
「分校長?」
 オーレリアは、クロウから視線を外さない。どうかしたんですか、とリィンが呼んでも、何かを見定めるように彼を見たまま無言だ。
 クロウもすぐに気付くが、気まずそうに頭を掻くだけで、声を掛ける事はしない。
「……アームブラスト。この後、時間はあるか?」
 長いようで短い沈黙の後、オーレリアが口を開いた。
「? まあ……なくはねえ、けど」
「そうか。そなたが良ければだが……抱えているものを、少しでも解消する気はないか? 勿論――物理的に、な」
 え、と声を零しそうになったのは、横で見ていたリィンの方だった。
 クロウが何か抱えているであろう事は、分かっている。オーレリアが、どうしてそこに気が付いたのかが不思議だった。教室で黄昏ているクロウを見かけた時、近くに彼女の気配はなかったからだ。
 ほぼ毎日一緒に居るが、クロウは先程のような様子を見せた事は一度もない。
「クク、これまた唐突っつーか……要するに仕合って事だな」
「率直かつ、簡潔に言うならばそうだな。それに、前にも言ったはずだ。そなた自身の実力を知っておきたいと」
「そいつ〝も〟建前か?」
「本音〝とも〟言えよう。だが、否定はすまい」
 ヴァンダールとアルゼイド、二つの流派を極めたオーレリアに仕合を持ちかけられても、クロウは微塵も動揺を見せない。普段の飄々とした雰囲気を纏ったままだ。
「場所は練武場。二十分後には空くはずだ、その後で構わないか」
「分かった」
 オーレリアは青の外套を揺らして、教室の前から立ち去る。
 こつこつと響いていた靴音が聞こえなくなった後、回収した教本を小脇に抱えて、リィンは彼女が歩いて行った方向を見遣った。
「分校長、いきなりどうしたんだろうな……? 確かに、クロウとは一度剣を交えてみたい、って言っていたけど」
「…………」
 どれが本音で、どれが建前なのか。他人が見定めようとしたところで、きっとそれは不可能だ。紙の表と裏のように、瞬時に返す事が出来るのだから。――尤も、オーレリアの場合、全部が本音の気がしてならなかったが。
「あっ、リィン教官にクロウ教官、それにアルも!」
 規格外すぎる我らが分校長の規格を測ろうとしたところで、測定器が壊れるような事しか起こらないのだろう。
 リィンが巡りかけた思考回路を断ち切った時、ユウナの声がした。
「皆……部活動が終わったのか、お疲れ」
「教官達は、これから寮へ?」
「練武場に行くんだ。分校長に、クロウが呼ばれてさ」
「クロウ教官が、ですか?」
 掻い摘んで先程の事を話すと、生徒達は意外にも興味を示した。思えば、クロウは生徒達の前でまだ全力の戦いを見せていない。先月の小要塞の時は、得物も相俟ってそれとは離れていたように思えた。
 副教官がどれほどの実力を持っているのか、純粋に見てみたいのだろう。
「……オーレリア分校長と、クロウ教官の手合わせですか。少々、興味深いですね」
「アル、見に行きたいの?」
「《黄金の羅刹》と《蒼の騎士》……良い仕合が見られそうですね」
 内戦時の、貴族連合側の総司令と切り札。その二人が同じ学院で教職に就いているという事は、なかなかに信じ難い事だった。
 ――何があったのか?
 突き詰めようとしても、それは叶わない。先が一切見えない道へ踏み出して、暗闇の中に手を伸ばしているような感覚に陥るからだ。
「……。クロウ、構わないか?」
 自分の中に湧き上がったものを払拭する代わりに、リィンは頭を振る。
「いいぜ。何かの参考になるんなら、副教官としての役割もちっとは果たせるってもんだろ」
 クロウは片目を瞑って笑って見せたが、夕暮れのせいだろうか――どこか、表情に翳りがあるように思えた。

「来たか」
「……戦る気満々だな」
 オーレリアは、既にアーケディアを担いで待ち構えていた。クロウは慄く事なく、練武場へと踏み入れて、彼女と真正面から向き合う。
「遠慮は無用、手加減もしなくていい。本気を出さねば、そなたは裏側に潜めているものを表へは出さぬだろうからな」
「裏側、ねぇ……もう隠してるつもりはねえんだがな」
「では、言い方を変えるとしよう。――上手く覆ってはいるが、奥底に〝迷い〟に似た何かを抱えている。違うか?」
「……」
「迷い……お前が?」
 指摘を受けて、リィンの隣のクロウは目を瞬かせた。想定外だったのか、数秒の間、彼は口を閉ざす。
 問いかけるようにリィンが視線を向けて数秒後、クロウが微かに笑った。
「……へぇ、お見通しってか」
「教官一人の迷いすら見抜けぬようでは、分校長は務まるまい」
 張り詰める空気。見ているリィンも、思わず身構えそうになってしまうほどのものだ。
「――さて。それでは、手合わせ願おう」
 その目に、オーレリアはクロウの何を映し出したのか。
 近くに居たリィンにすらはっきりと気付かせないものの正体は、一体何なのだろうか。
 尋ねたい気持ちはあったが、リィンは黙っておいた。今はその時ではない、と分かっていたからだ。
「……今更だが、拳銃じゃアンタと渡り合うには向かねえし、俺の双刃剣、どっか行っちまっただろ? そのへんの剣、借りていいか?」
「心配は無用だ。とある人物が、そなたが着任する際にわざわざ届けに来たのでな」
 壁に立て掛けられていたものを、オーレリアが指す。赤い布が被せられてはいるが、細長い形状をしているそれは、紛れもなく。
「とある人物、ねぇ……蒼くて、ひらひらしてたりしなかったか?」
 クロウの双刃剣を届けられる人。該当しそうな人物は、かなり絞られる。
 思い当たる人物が浮かんだのか、肩を竦めて、クロウは壁に立てかけられているそれを見た。
「どうだったか」
「……アンタ、絶対知ってるだろ?」
 双刃剣に歩み寄り、クロウが掛けられていた布を取った。久々に手元に戻ってきた双刃剣を見て、一つだけ吐かれた息に何の感情が籠っているのか、リィンには分かりそうで分からない。
 馴染んだ得物を携えて、クロウはそのまま、オーレリアの前へと進み出た。
「クロウ、本当にやるつもりなのか?」
「ま、気にすんなって。……分校長サンに見抜かれちまった以上、やるしかねえだろ。俺自身の為にもなりそうだしな」
 双刃剣を手に取って、クロウはそれを数回、軽く振る。風を切る音が、リィンにとってはなんだか懐かしく感じられた。
「アンタにとっては馴染み深い《蒼の騎士》じゃなく……リーヴス第Ⅱ分校の、教官の一人として挑ませてもらうぜ」
「意気や良し――私も《黄金の羅刹》ではなく、分校長としてそなたに胸を貸そう」
 距離を置いて、クロウとオーレリアが対峙する。糸が張ったような空気を肌で感じて、リィンは呼吸をするのを忘れそうになってしまった。
 両者の間にあるのは、決して殺伐とした空気ではない。ただ、単に実力を計る手合わせではない事は、交わされていた会話からも分かる。
「!」
 糸を切り動いたのは、二人同時だった。瞬時に間合いを詰め、甲高い金属音を練武場内に響かせる。
 数秒の鍔迫り合い。交差する視線。どちらも一歩も下がる事なく、大剣と双刃剣は間で小刻みに震え――微かに離れ、再びきん、と鳴った音と共に、二つの刃が引き離される。
 間髪入れずに、先に剣を振るったのはオーレリアだった。
「そなたの本気を見せてみよ」
 宝剣アーケディアが空気を切る音は低く、重い。
クロウはその刃から逃れるように、小さく跳躍して後退した。
「言われなくても――」
 駆けるクロウ。大剣を構え直して、迎え撃とうとするオーレリア。正面から衝突する――そう思った瞬間、クロウは床に双刃剣を突き立て、その勢いで彼女を飛び越えた。
 回り込んだクロウと、振り向いたオーレリアの刃がぶつかり合う。
「そのつもりだぜ。やれるところまでやってやる」
「フフ、そう来なくてはな」
 互いに不敵に笑んだ直後、向け合った切っ先。リィンが横目でちらりと生徒達を見ると、五人は瞬きすら忘れているのではないかと思えるほど、真剣に目前の仕合を見ていた。
 徐々に激しさを増してきた二人の仕合は、時に衝撃波が飛び、火花が舞い、生成された光が剣のようになって飛び交うようになる。最早、練武場の耐久度を信じるしかなかった。
 クロウが刃を突き出した先に、オーレリアの姿はない。けれど、クロウは即座に地を蹴って、その場から横に転がる。床から突き出た刃は、ぱきんと硝子が砕けるような音を残して跡形もなく消えた。
「二つの流派を極めた剣――さすが、ってトコだ……なっ!」
「そなたもその若さで、大した腕前だ」
 後ろを見ずにクロウが双刃剣を振ると、それはオーレリアの大剣と鈍い音を立てて重なる。いつの間に後ろに回り込んでいたのか、と考える間もなく、流れるように二人の戦いは続けられる。
 予測を読み、読みを予測する。それらが幾重にも重なって、見ている側は何が起こっているのか把握するだけで精一杯だった。
「ちょ、ちょっとやりすぎなんじゃ……」
「ですが、こうなると止める術はないのでは」
 戸惑うユウナ。その反応は正しい。学院内で手合わせを行う生徒は多いが、ここまでの仕合を繰り広げる人はそう居ない。
「ここが無事に済む事を祈るしかないな……」
 リィンはオーレリアと手合わせを行った後の事を回想して、天井を見上げる。あの時も大分派手に刃を交えた記憶があったが、練武場はほぼ無傷だった。
 天井から視線を下げる。練武場の両端にそれぞれ立ったクロウとオーレリアは、可視出来そうなほどに気力を練り上げていた。
 ――次の一撃で決まる。
 固唾を飲んで見守るリィン達の前で、同時に二人は自身の得物を振り下ろす。放った斬撃を追いかけて駆け出し、中央付近で相殺され消滅したそれの余波を避け、仄かな光を纏わせた刃が激突する。
 一番大きく、一番高い音が鳴り響く。刃が離れ、次で決まるかと思われたその時、オーレリアが大剣の切っ先を、真っ直ぐにクロウへと向ける。
 その先には――――

      

「ッ!」
 強者との戦いでは、一秒に満たない油断も命取りになる。
 あの攻防の間に、何があったのか。横で見ていたアルティナも気が付いたようで、彼女はリィンの腕をくいと引っ張ってきた。
「クロウ教官、今……」
「……ああ」
 ほんの少しだけ動きを不自然に止めてしまったクロウは、オーレリアの一撃を防ぐのが僅かに遅れてしまう。姿勢を崩して、そのまま彼は片膝をついた。
 どうしたのだろう――手合わせが始まる前までは、焦りも何も見せていなかったというのに。
「……。ここまで、だな」
 ぴたりとアーケディアが止められる。眼前に大剣の切っ先が突き付けられて、クロウは双刃剣を下ろした。
 互いの刃が、どこかから差し込んだ光を受けて鈍く輝く。
「此度の手合わせ、勝敗は重要ではあるまい。――良き仕合であった」
「そりゃどーも」
 クロウは立ち上がり、双刃剣をくるりと回すと、オーレリアに背を向けて観念したように口を開いた。
「……。アンタの言った通りだ、俺は迷ってる。……自分が〝ここにいる〟という事にな」
「クロウ……」
 何故だろう。クロウが言っているのは、自分が今〝このリーヴス第二分校に居る〟という事ではないような気がした。
 それには根拠はない。ただ漠然とした、勘のようなものが告げていた。
「アームブラスト、一つ再認識をしてもらおうか。――ここは〝夢〟であっても〝現実〟であり、フェイクではないと」
「!」
「どうやら、何か為したい事があるようだが……揺らがぬように心を保つ事だ」
 オーレリアはアーケディアを収めて、横目でクロウを見る。
 夢であっても、現実である。フェイクではない。彼女の言葉は、すぐには落ちてこない。
 含まれた意味を理解する前に、雪のように溶けていってしまうからだ。
「……何だか、話が少し噛み合っていないように思えるのですが」
「う、うん……なんか、すぐには理解出来そうにないんだけど……」
 首を傾げるユウナとアルティナに、オーレリアが歩み寄る。
 数分前まで大剣を振り、練武場の中で仕合を行なっていたとは思えないほど、彼女はいつも通りに落ち着いていた。
「そなた達も、何か迷いや悩みがあるならば、遠慮なく私のところを訪ねてくるといい」
「話を聞いてくれる、という事ですか?」
「うむ。勿論、こういった形で付き合うのも構わない」
「た、叩きのめされる気しかしないんですが……」
「それによって見えてくるものもあるだろう」
 人類最強、と言っても過言ではない領域にまで上り詰めたオーレリアと、刃を交える事で得るものがあるのは間違いない。
 悪い意味で驕らない彼女は、気さくに手合わせを引き受けてくれるのだろう。リーヴス第二分校の分校長は、そういう人だった。
 肩を回して、クロウが一度置いた双刃剣を拾い上げる。
「双刃剣……初めて見ましたが、ああいう戦い方が出来るんですね」
「俺のこれは暗黒時代の産物だし、使ってるヤツは滅多に居ねえだろうからな」
「あら。暗黒時代ですか」
「ハッ、副教官サマもとんでもねぇブツを持ってやがる」
 クロウ以外に使用者を見た事がない双刃剣。リィンも、帝都地下で《C》が持ち出してくるまでは、名前を聞いた事がある程度だった。物珍しそうな目で、生徒達は双刃剣を眺めている。
 オーレリアが練武場を出て行った後、クロウは大きく伸びをした。
「あー、久々に全力で戦ったぜ。いつ以来だよ、こんなの」
「お疲れ。俺も分校長と手合わせをした事があるけど……一撃一撃が重いから、受け止めるんじゃなくて、受け流さないといけないんだよな」
「尚且つ、無駄が一切ねぇ。〝目〟も相変わらずのモンだし……ちょっとでも動いただけで、全部読まれちまいそうな気がするんだよな」
「……なるほど。記憶に留めておきます」
「クルトもいつか、手合わせする時が来るかもしれないしな」
「恐れ多いですが……僕自身のヴァンダールの剣を、分校長にいずれ見てもらいたいという気持ちがあるのは、否定しません」
 練武場内を満たしていた闘気に近いものが緩やかに消えていき、元の静けさが戻ってくる。強者同士の仕合の、余韻を僅かに残しながら。
 施錠の時間が近付いている事を思い出して、クロウが軽く手を打った。
「さて、と。俺は寮に戻るとしますか……お前らはどうするんだ?」
「俺も戻るよ。やりたい事もあるからな」
「わたしも自室へ戻ります」
「あたしは買い物に行こうかな。ちょっと本も見たいし……」
「書房には僕も用がある。ユウナ、良ければ一緒に行ってもいいか?」
「あ、助かるかも。誰かに相談しながら選びたかったものがあって……」
 練武場を出て、リィンが鍵を掛ける。
 太陽は地平の向こうへほとんど沈んでしまったようで、窓から見える空は夜の割合が多くなっていた。遠くにぼやける緋色は、ゆっくりと世界の裏側へ消えようとしている。
 もう少し経てば、幾つもの星が静かに瞬き始めるのだろう。
「それなら、私とアッシュさんも後で合流しても良いでしょうか?」
「……。オイ、なに自然に俺を混ぜてんだよ」
「アッシュさんが立ち寄られる店が同じでしたから、ちょうどいいかなと」
「なんで俺が寄ろうとしてた店を把握してんだ……」
「勘、というものですよ」
「相変わらず油断も隙もねぇぜ」
 一年ほど前には想像出来なかった光景が、目の前にある。あの頃と比べると随分と打ち解けたものだと、見ていて微笑ましく感じる事は何度もあった。

 ユウナ達と別れてリーヴスの街まで歩いて行くと、生温い風が吹き抜けていった。
 春が終わり、夏が近付いてきている。季節をまた一つ越えて、次の季節がやってくる。
 ――彼らと過ごす春は、これで最後だった。年を越えた先の春はもう、別れの季節なのだ。
 そう思うと、風の中に微かに含まれている春の匂いを、どうしても名残惜しく感じてしまう。
「クロウ。さっきの事なんだが……」
 尋ねてもいいものか、多少の迷いはあった。けれど、気になる、というよりは、心配だから、という気持ちが打ち勝った。
 それに、教官の事で何か悩んでいるのなら〝先輩〟として、ちょっとでも力になれないものか。そう思い、リィンがクロウに声を掛けた、二秒ほど後。
 ――遠慮なく空腹を知らせる音が、誰かから鳴る。
「…………」
「…………」
「…………」
 リィンとクロウの間のアルティナが、こほん、と一つ咳払いをする。
「今のお腹の音〝も〟わたしではありませんので」
「……なんだ、腹減ってんのかリィン」
「待った、どうして俺になるんだ」
 じとり、とアルティナがクロウを見ながら呟いた。どう考えても一番空腹に近いであろうクロウは、リィンの肩へ手を置く。
「そんじゃ、バーニーズでも行って飯食っちまおうぜ」
「財布、持ってるのか?」
「……。悪りぃ、十ミラしか――」
「そう来ると思ったよ。……今日は、俺が払うから」
「いやっほーう、ですね」
「む、無理にテンション上げなくていいからな?」
「良い〝先輩〟を持って幸せ者だなー俺は」
「手のかかる〝先輩だった後輩〟が居るからな」
「あんだと~? ……言うようになったじゃねーか」
「どこかの誰かさんのおかげかな」
「……ふふっ」
「……アルティナ、また笑ったか?」
「よく笑うようになったよなぁ。クク、良い事だと思うぜ」
 享受出来る事が当たり前ではない、いつ崩れ去ってしまってもおかしくはない、どこまでも穏やかな時間と日々。
 夜空の下でただただ笑い合っていられる刻は、リィンにとって、輝く星々よりも煌めいているものだった。